[Springreport]
■零れ桜
この国において春と問えば「桜」と答える者は多い。
学園にも、事務所の寮にも、マスターコースにも。生まれてこの方、桜を目にしない春などなかったといえるくらい。四季や花のうつろいが情緒五感に与えるは、表現にも大いに役立つ。というのは表向き。単にいろんな場所で花見をしたい早乙女さんが適当に植えたのだろう。
今年で誕生日を祝うのも四度目だ。
一度目は学園に入ってすぐに迎える音也の誕生日。
初めての誕生日は同室になりたての頃で、挨拶においてずけずけと『俺の誕生日4月11日、おうし座』などというから、なるべく穏便に学園生活を終えたいこちらとしても、当日は波風立たせぬよう、「おめでとうございます」とだけ言った記憶がある。どちらにせよ、一年しかないこの学園生活で、来年はそれを言う機会があるかすらわからない。
数日前に自分から名乗ったにもかかわらず「覚えてくれてたの?」と破顔したことに、意味の分からなさを覚えたのも今思い返せば、きっかけの一つだった。祝い事より仕事を選ぶ生活が長かったからか、誕生日をこうやって自ら主張する気持ちが、その時はわからなかったから。
二年目は同期と賑やかに祝った。学生寮を出て事務所の寮へと移った。これからまた一年、そしてST☆RISHというグループといて足を踏み出す第一歩目は、この場所からだ。どうしてもこのメンバーで歌いたい、卒業オーディションとグループの作曲家として一人で立ち向かい、ことを成し遂げた七海さんには感謝しきれない。卒業前に、ユニットという形で曲を発表するのは異例の事態だったあの日から一か月。奇跡のような虹の中に、音也もいる。
存在自体が年度始まりのような男だ。一番手がよく似合う。去年の今頃は、この相手とはこれきりと、当たり障りのない祝辞を送ったものだと、しみじみ思い返した。
無理もない。僅か一年ばかりの付き合いで、こんなにも大きな存在になるとは思っていなかったのだ。今までそんなこと経験したことなかった。鮮烈に焼き付く赤には、妬みも羨望も喜びもすべて吸い尽くされた。聖川さんやレンのように、翔と四ノ宮さんのように、元より互いを知るわけではない相手だ。この世で一度としてすれ違いもしなかっただろう。この学園ではじまり、今もお互いの意思のもとここにいる。二年目のおめでとうという言葉には、まっすぐ一十木音也という人間い向けるものだった。
三年目は、プロのアイドルとしてデビューするにあたり、マスターコースの先輩方との生活を課題とされた。先輩の承認を経てのデビューである。それぞれに学園長から追加審査として渇せられたのは、それぞれの課題をクリアできるか。
運命のいたずら……否、早乙女さんの考えがあってなのだろう。きっと。またしても音也と共に過ごす生活が始まった。
ただし、2人きりではない。マスターコース。我々の指導者となるのは、寿嶺二という男。
三度目の誕生日は、賑やかさが増した部屋と、寿さんの生家の名物、唐揚げの匂いを共にして祝われた。このころはデビューをかけての最終関門であった。いよいよと、気の抜けない状況が、少し心の余裕を奪い取るころだった。
寿さんの子役として活動はもちろん目にしていまいた。実際に共演経験もあったので、その恐ろしさは十分理解しているつもりではあったが。いざ自分の先輩として、マスターバッジを受け取るまでの日々を思い返しても、彼が培ってきたものの大きさを体感した。
己の至らぬ部分がまざまざと見せつけられ、もがく日々であった。
寿さんと役のオーディションで対立したとき、音也が、笑えなくなった時、全てを思い返すには時間が足りないと思えるくらい、濃密な日々だった。
その中に絶えず目に焼き付くのはこの男だった
出会った当初よりぐっと大人びた横顔を、横切る桜の花びら。
まもなく四度目の誕生日。寮での生活も終わり、今見上げる桜は、音也が一人暮らしと構えた場所の近く。川辺に生える桜の木の下。
私はHAYATOではなく、一ノ瀬トキヤという一人のアイドルとしてデビューする。
その傍には、もはやなくてはならない存在となった。
桜の花びらに目を奪われた男は、視線と共にそれを追う。傾げた首筋の、覘いた首筋の無防備さにザワリとした。 浮いた筋をなぞるように、一枚の花びらが襟首に滑り込む。それに気づいているのだろうか。
気づいていなかったのは、私の方だ。
いつの間にかこちらを見つめる瞳に。
・
2022-4-24 02:34
[utpr]春の話03、零れ桜
2022-4-21 23:30
真田
2022-4-21 23:06
[utpr]春の話02、無題
[Springreport]
■無題
「好きになった人が好きな人。俺はトキヤが好き」
常時物事に対して「好き」を息をするように口にすると男の好きははたして…などと考えなくても分かっている。これが意味するところを。
花冷え。
音也の誕生日の頃となると、この言葉がよぎる。桜の季節に付きまとう唐突な寒暖差。今日こそその言葉たらしめる日だろう。夜桜が月明かりにほの白く浮かび上がるのに、吐き出す息は白い。なにせ気温は10度。先日まで20度越えから急降下。
その中でも花は季節を告げるように健気に咲く。目の前をはらりと舞い散る桜の花びらを目で追いながら。
改めてかみ砕こう。
いや、つまり私の事を好きだということしか分からなかった。相手もそれが伝えたかったのだろうから、受け取りではお互い言わんとすることは伝わっていると思う。それがあまりにも唐突に言われたから理解に時間を要するのであって。あとは私がそれをどうとるか。
言うにしても、どうしてこう、前触れやワンクッションができないのであろうか。好きという言葉の受け取り方はそれこそ人の数だけ違う。あなたの事が好きです、で伝わるにはそれなりに過程が必要ではないか?それが、あるのだ。そうだ。この男と私の間にはそれがあって、この言葉が出るなら、ばつまり。
「今、それを言いますか」
今それをいって、もしも否めばどうするのか?それを考えているのか。プロのアイドルとしてお互いデビューも決まり、同じグループの仲間として、これからも駆け出そうという最中。思ったことを口に出す習性も、少しは落ち着いてきたと思ったら……とも思いたいが、どうにも相手は至極落ち着いて口にしているので、いかんせん本当にどうしたものか。それに。ならば今でなければよかったのか?などと一人内心笑ってもいる。
私の考える「好き」は「愛」へつながる一歩目で。祝福の言葉だった。それがはたしてこの男の世界と繋がっているかはわからない。
「嫌だって言われたらそうなんだろうなって思うし、それで気持ち悪がられたって、そこで終わらなければいいだけの事じゃん。好きになってもらうにはって努力はできるよ。でもなによりね」
音也節。拍手を送りたくなるくらいに前向きな言葉の羅列。持ち前の直感は直球で確信へ向かってきた。ここは天晴と思おう。
直感とはそもそもそれまで培った経験値でもある。己の価値観を信じ、こうありたいと思うことに素直になる柔軟さ。それを突き進むしなやかな強さ。それは誰しも持ちうるはずなのに、常識や気おくれが妨げる。まあ、直感が全て正解にたどり着くとは限らず、それにより痛手を食らうことも多かっただろうが、そこに重きを置かなければ、次へと目を向けることができる。痛手より未来への可能性。次へ、生き繋ぐ。それが一十木音也という人間の強さだ。
「今なら言ってもいいかもしれないって思ったんだ。トキヤ、ねぇ、聞いたとき真っ先に否定はしなかったでしょ?」
「そうですね」
ゆっくりと言葉を音也は紡ぐ。だからこそ、ゆっくりと噛み砕く事で、ひとつひとつ?み下す。
これが昨日今日からの付き合いならば、世辞と受け取り流すこともできるた。
残念ながら、本格的にデビューを迎えるまで、この男と過ごしてきて思い知らされた「すき」にまっすぐで、その言葉については嘘偽りを込めないのも知ってしまった。心に浮かび上がる澄んだ気持ち。
「トキヤはさ、男同士は認められはするけどさ、自分にはないだろうって、思ってるでしょ?そして同じメンバーのなかでこれからやっていく上で、仲間にそういう感情を抱くと不味いって」
足元に落ちた花びらを見ながら、よくもまあつらつらと。
「でもね」
トキヤはいつも俺のこと見てくれてる。瞳の真ん中のところに俺がいて、そこにいると俺はここにいるんだなって思える。トキヤがみてるな、って分かっちゃう。俺もれしくて見ちゃう。結局お互いさま。俺の目の色もきっとトキヤの色。トキヤが俺を好きになってくれたから、俺もトキヤが好きになれたんだよ。
「トキヤも俺のこと好きでしょう」
「ええ」
過程と結論の方程式はまったく理解できないのだが、答えだけは正解なのだ。
「ええ。私の好きは『好き』ということですよ?」
何だこの会話は。自分でも言っていることが分からなくなる。先程から我々は何度好きという言葉を発しているのか。その言葉がゲシュタルト崩壊しそうだ。つとめて言葉を選ぶ。
それを見て、そのくせ、是と言うとホッとしたように「一緒だよ。嬉しい」と笑ったのだ。
一生告げることはないと思っていた。
私の好きは、彼の多く存在する好きの一つに並んでいればそれで良かった。そう思いながら生きる覚悟も決めていたのに。そんなに私はわかりやすいのかと不安になると同時に、私が分からないことが何故か音也には伝わったことに感動した。
それは桜の咲く季節にしては、息も白く冷え込んだ日の事。
はにかんだ笑顔にどこかどこか祈りのようにも告げてきた。
「これからも一緒でいてください」
こういう時に出てくる定型句とは違う言葉にどきりとした。一緒でいてくれ。それは願いの言葉だ。そうあってほしいという、強制力のない一方的な、ささやかな願い。あなたの中の世界はどうなっているのですか?赤く燃え上がるサソリの灯のような願いなのか。
「そちらこそ」
出会いからまる三年。
数日後に迫る音也の誕生日を迎える時、私と彼は初めて付き合って迎える、いや、私が人生で初めて迎える恋人と言うべき相手の誕生日となるのだ。
・
■無題
「好きになった人が好きな人。俺はトキヤが好き」
常時物事に対して「好き」を息をするように口にすると男の好きははたして…などと考えなくても分かっている。これが意味するところを。
花冷え。
音也の誕生日の頃となると、この言葉がよぎる。桜の季節に付きまとう唐突な寒暖差。今日こそその言葉たらしめる日だろう。夜桜が月明かりにほの白く浮かび上がるのに、吐き出す息は白い。なにせ気温は10度。先日まで20度越えから急降下。
その中でも花は季節を告げるように健気に咲く。目の前をはらりと舞い散る桜の花びらを目で追いながら。
改めてかみ砕こう。
いや、つまり私の事を好きだということしか分からなかった。相手もそれが伝えたかったのだろうから、受け取りではお互い言わんとすることは伝わっていると思う。それがあまりにも唐突に言われたから理解に時間を要するのであって。あとは私がそれをどうとるか。
言うにしても、どうしてこう、前触れやワンクッションができないのであろうか。好きという言葉の受け取り方はそれこそ人の数だけ違う。あなたの事が好きです、で伝わるにはそれなりに過程が必要ではないか?それが、あるのだ。そうだ。この男と私の間にはそれがあって、この言葉が出るなら、ばつまり。
「今、それを言いますか」
今それをいって、もしも否めばどうするのか?それを考えているのか。プロのアイドルとしてお互いデビューも決まり、同じグループの仲間として、これからも駆け出そうという最中。思ったことを口に出す習性も、少しは落ち着いてきたと思ったら……とも思いたいが、どうにも相手は至極落ち着いて口にしているので、いかんせん本当にどうしたものか。それに。ならば今でなければよかったのか?などと一人内心笑ってもいる。
私の考える「好き」は「愛」へつながる一歩目で。祝福の言葉だった。それがはたしてこの男の世界と繋がっているかはわからない。
「嫌だって言われたらそうなんだろうなって思うし、それで気持ち悪がられたって、そこで終わらなければいいだけの事じゃん。好きになってもらうにはって努力はできるよ。でもなによりね」
音也節。拍手を送りたくなるくらいに前向きな言葉の羅列。持ち前の直感は直球で確信へ向かってきた。ここは天晴と思おう。
直感とはそもそもそれまで培った経験値でもある。己の価値観を信じ、こうありたいと思うことに素直になる柔軟さ。それを突き進むしなやかな強さ。それは誰しも持ちうるはずなのに、常識や気おくれが妨げる。まあ、直感が全て正解にたどり着くとは限らず、それにより痛手を食らうことも多かっただろうが、そこに重きを置かなければ、次へと目を向けることができる。痛手より未来への可能性。次へ、生き繋ぐ。それが一十木音也という人間の強さだ。
「今なら言ってもいいかもしれないって思ったんだ。トキヤ、ねぇ、聞いたとき真っ先に否定はしなかったでしょ?」
「そうですね」
ゆっくりと言葉を音也は紡ぐ。だからこそ、ゆっくりと噛み砕く事で、ひとつひとつ?み下す。
これが昨日今日からの付き合いならば、世辞と受け取り流すこともできるた。
残念ながら、本格的にデビューを迎えるまで、この男と過ごしてきて思い知らされた「すき」にまっすぐで、その言葉については嘘偽りを込めないのも知ってしまった。心に浮かび上がる澄んだ気持ち。
「トキヤはさ、男同士は認められはするけどさ、自分にはないだろうって、思ってるでしょ?そして同じメンバーのなかでこれからやっていく上で、仲間にそういう感情を抱くと不味いって」
足元に落ちた花びらを見ながら、よくもまあつらつらと。
「でもね」
トキヤはいつも俺のこと見てくれてる。瞳の真ん中のところに俺がいて、そこにいると俺はここにいるんだなって思える。トキヤがみてるな、って分かっちゃう。俺もれしくて見ちゃう。結局お互いさま。俺の目の色もきっとトキヤの色。トキヤが俺を好きになってくれたから、俺もトキヤが好きになれたんだよ。
「トキヤも俺のこと好きでしょう」
「ええ」
過程と結論の方程式はまったく理解できないのだが、答えだけは正解なのだ。
「ええ。私の好きは『好き』ということですよ?」
何だこの会話は。自分でも言っていることが分からなくなる。先程から我々は何度好きという言葉を発しているのか。その言葉がゲシュタルト崩壊しそうだ。つとめて言葉を選ぶ。
それを見て、そのくせ、是と言うとホッとしたように「一緒だよ。嬉しい」と笑ったのだ。
一生告げることはないと思っていた。
私の好きは、彼の多く存在する好きの一つに並んでいればそれで良かった。そう思いながら生きる覚悟も決めていたのに。そんなに私はわかりやすいのかと不安になると同時に、私が分からないことが何故か音也には伝わったことに感動した。
それは桜の咲く季節にしては、息も白く冷え込んだ日の事。
はにかんだ笑顔にどこかどこか祈りのようにも告げてきた。
「これからも一緒でいてください」
こういう時に出てくる定型句とは違う言葉にどきりとした。一緒でいてくれ。それは願いの言葉だ。そうあってほしいという、強制力のない一方的な、ささやかな願い。あなたの中の世界はどうなっているのですか?赤く燃え上がるサソリの灯のような願いなのか。
「そちらこそ」
出会いからまる三年。
数日後に迫る音也の誕生日を迎える時、私と彼は初めて付き合って迎える、いや、私が人生で初めて迎える恋人と言うべき相手の誕生日となるのだ。
・
2022-4-20 21:58
音也
2022-4-20 21:40
[utpr]春の話01、リポート
[Springreport]
■リポート
「お疲れ様でした」の言葉に、体から力が抜ける。
今日の撮影時間は当初の予定より押した。
いや、大幅な前倒しになったのだ。
メインキャストを務める俳優さんが、訃報を受けた。本番前の控室で、携帯電話を見つめ微動だにしない姿に、ほかの出演者が「そろそろ出番です」と声をかける。そこでようやく時間が動き出した。目を大きく見開いたままの瞳をゆっくり細め、静かに吐き出す。手を組み額を押し当て「そうかそうか」と小さく唱える姿は祈るようだった。
直接の血縁があるわけではないが、自分を育ててくれたのはその人だ、と慕う人らしい。今夜は通夜で、明日には葬儀が組まれている。
「ここから随分と離れているしね、すぐに会いに行けないのは重々承知だったが。こういう日がいつか来るとは思ってたけどなぁ」
見上げた空は青く雲一つなく、明日もこの天気だといいな。そしたらあんひとも、迷わず空まで登っていけるだろう、そう言って目を細めた。葬儀の時間は、彼を含めたメンバーでの撮影の予定が入っている。
「そうか。そうか」
冠婚葬祭において、葬儀だけが、いつ訪れるかわからない。間に合うも間に合わないも、見送るときばかりは、心の準備をさせてくれない。
まだ身の回りでそれを経験したことのない自分は、その人の後ろ姿に、出会う前、小さな彼の姿を重ねた。
それを知ってからの監督の判断は早かった。撮影の順番を大幅に変え、その俳優の方のシーンを先にまとめて撮り、次いで未成年の出演者の携わるシーンを、最後に残りのシーンをまとめて撮る方向へ変わった。
「もうこのまま残りのところもやっちゃおっか!」
不在の出演者に声掛けをすれば、今日明日に必要なシーンの人材も運よくそろうとのことで、こりゃいい!と決まりだ、と。
「そうすりゃ俺も明日まるっと休みになんのよー」
と軽いノリで言うが、誰もそれを非難はしなかった。それはその俳優への配慮もあってだから。
明日はゆっくりお見送りを、と出演者に送り出されるその人は、深々と頭を下げる。
「こんなにしてもらって、俺まで一緒に行っちまいそうだ」
「そりゃ困ります。ちゃんと手え振ってさよならして。明日の夜には帰ってきてくださいね。あ。土産とかもいらないんで」
監督から行った行ったと押し出されるまで、何度もありがとうと、涙ぐみながら言葉をかけていた。最後を見届けることのできる安堵が、表情に現れている。その表情を見て、姿知らぬ故人の笑顔が思い浮かんだ。なにより、長年この業界で生き続けたその俳優の、堅実に培ってきた人徳にもよるのだ。
急遽の事で出演者にはと弁当が夕食として配布された。スタッフが気を遣ってくれ、弁当を買い出しに行ってくれたが、この時間だからコンビニの梯子で、内容もばらばらだった。若手の自分は年長者に先を譲り、残ったのはカロリーのそこそこありそうな揚げ物の詰まった弁当だった。今は無性に、それも生きる糧だと感じた。すぐには食べきれないだろうが、有り難くいただこうと手を合わせた時、
「あ。一ノ瀬さんがお弁当食べてる。葉っ……野菜しか食べないって君のとこの事務所の、一十木くん、彼が言っていたから。……サラダも買ってきたけど食べる?」
「……それは、いらぬご心配をおかけしました。他の方々は?もし誰もいらっしゃらなければ助かります」
どこからでもひょっこり現れてくるのだから気が気ではない。このスタッフと音也がどういった関わりなのかは気になるが、こんな形で助け舟を出されるとは思わなかった。
「スイーツの方が好評だったみたいで…….よければ貰ってやって」
結局、サラダと揚げ物弁当が手元にやってきた。
もうひとふん張りだぞーと、監督の声が響く。当初の時間はかなり過ぎているが、事をなしえた達成感がこの場を一つにまとめている。この世で誰かが一人旅立った後だと言うのに、どこか心地よさすら感じる時間だった。
予定外の出来事ではあったが、現場はかえって緊張感が漂い、シーンと合間っての一発撮りで通ったのだ。
朝から入り、夜の10時半。長時間にわたる撮影だった。
それでも最後まで残った面々からはタイミングが良かったね、監督やスタッフの切り替えの早さだよと、みな、今頃は通夜に向かっているであろう俳優への安堵と、予定外のオフの時間をどう過ごすか、話題が花咲く。
私も、明日は夕方からST☆RISHでグループ出演する番組撮影だけだ。半日以上の時間をどう有意義に過ごすかを考えていた。
夜空を見上げ、寒さに身体が縮こまる。
花冷えという言葉がある季節だ。
ここ数日暖かかったのに今日はぐんと気温が下がる。
この時期、服の着合わせは人々の悩みだ。春物のコート下ろしたのに寒すぎて着られない。
日中暖かいからって薄着できたら死にそう。昨日まであんなに寒かったのに何でこんなに今日は暑いのか。
ニュースキャスターが夜は冷え込みますから、調整できる服装を。
毎年のこととはいえ、予想はつかない。まるで誰かの様だ。
今年の桜は三月末が満開で、もう一週間としないうちに薄紅は新緑へと変わっているだろう。植物たちからすればこの季節はどう思えるのだろうか。
明後日からまた急に暖かくなるらしいと、この気難しい季節に彼は生まれた。
そう。あと数日で音也の誕生日だ。
.
■リポート
「お疲れ様でした」の言葉に、体から力が抜ける。
今日の撮影時間は当初の予定より押した。
いや、大幅な前倒しになったのだ。
メインキャストを務める俳優さんが、訃報を受けた。本番前の控室で、携帯電話を見つめ微動だにしない姿に、ほかの出演者が「そろそろ出番です」と声をかける。そこでようやく時間が動き出した。目を大きく見開いたままの瞳をゆっくり細め、静かに吐き出す。手を組み額を押し当て「そうかそうか」と小さく唱える姿は祈るようだった。
直接の血縁があるわけではないが、自分を育ててくれたのはその人だ、と慕う人らしい。今夜は通夜で、明日には葬儀が組まれている。
「ここから随分と離れているしね、すぐに会いに行けないのは重々承知だったが。こういう日がいつか来るとは思ってたけどなぁ」
見上げた空は青く雲一つなく、明日もこの天気だといいな。そしたらあんひとも、迷わず空まで登っていけるだろう、そう言って目を細めた。葬儀の時間は、彼を含めたメンバーでの撮影の予定が入っている。
「そうか。そうか」
冠婚葬祭において、葬儀だけが、いつ訪れるかわからない。間に合うも間に合わないも、見送るときばかりは、心の準備をさせてくれない。
まだ身の回りでそれを経験したことのない自分は、その人の後ろ姿に、出会う前、小さな彼の姿を重ねた。
それを知ってからの監督の判断は早かった。撮影の順番を大幅に変え、その俳優の方のシーンを先にまとめて撮り、次いで未成年の出演者の携わるシーンを、最後に残りのシーンをまとめて撮る方向へ変わった。
「もうこのまま残りのところもやっちゃおっか!」
不在の出演者に声掛けをすれば、今日明日に必要なシーンの人材も運よくそろうとのことで、こりゃいい!と決まりだ、と。
「そうすりゃ俺も明日まるっと休みになんのよー」
と軽いノリで言うが、誰もそれを非難はしなかった。それはその俳優への配慮もあってだから。
明日はゆっくりお見送りを、と出演者に送り出されるその人は、深々と頭を下げる。
「こんなにしてもらって、俺まで一緒に行っちまいそうだ」
「そりゃ困ります。ちゃんと手え振ってさよならして。明日の夜には帰ってきてくださいね。あ。土産とかもいらないんで」
監督から行った行ったと押し出されるまで、何度もありがとうと、涙ぐみながら言葉をかけていた。最後を見届けることのできる安堵が、表情に現れている。その表情を見て、姿知らぬ故人の笑顔が思い浮かんだ。なにより、長年この業界で生き続けたその俳優の、堅実に培ってきた人徳にもよるのだ。
急遽の事で出演者にはと弁当が夕食として配布された。スタッフが気を遣ってくれ、弁当を買い出しに行ってくれたが、この時間だからコンビニの梯子で、内容もばらばらだった。若手の自分は年長者に先を譲り、残ったのはカロリーのそこそこありそうな揚げ物の詰まった弁当だった。今は無性に、それも生きる糧だと感じた。すぐには食べきれないだろうが、有り難くいただこうと手を合わせた時、
「あ。一ノ瀬さんがお弁当食べてる。葉っ……野菜しか食べないって君のとこの事務所の、一十木くん、彼が言っていたから。……サラダも買ってきたけど食べる?」
「……それは、いらぬご心配をおかけしました。他の方々は?もし誰もいらっしゃらなければ助かります」
どこからでもひょっこり現れてくるのだから気が気ではない。このスタッフと音也がどういった関わりなのかは気になるが、こんな形で助け舟を出されるとは思わなかった。
「スイーツの方が好評だったみたいで…….よければ貰ってやって」
結局、サラダと揚げ物弁当が手元にやってきた。
もうひとふん張りだぞーと、監督の声が響く。当初の時間はかなり過ぎているが、事をなしえた達成感がこの場を一つにまとめている。この世で誰かが一人旅立った後だと言うのに、どこか心地よさすら感じる時間だった。
予定外の出来事ではあったが、現場はかえって緊張感が漂い、シーンと合間っての一発撮りで通ったのだ。
朝から入り、夜の10時半。長時間にわたる撮影だった。
それでも最後まで残った面々からはタイミングが良かったね、監督やスタッフの切り替えの早さだよと、みな、今頃は通夜に向かっているであろう俳優への安堵と、予定外のオフの時間をどう過ごすか、話題が花咲く。
私も、明日は夕方からST☆RISHでグループ出演する番組撮影だけだ。半日以上の時間をどう有意義に過ごすかを考えていた。
夜空を見上げ、寒さに身体が縮こまる。
花冷えという言葉がある季節だ。
ここ数日暖かかったのに今日はぐんと気温が下がる。
この時期、服の着合わせは人々の悩みだ。春物のコート下ろしたのに寒すぎて着られない。
日中暖かいからって薄着できたら死にそう。昨日まであんなに寒かったのに何でこんなに今日は暑いのか。
ニュースキャスターが夜は冷え込みますから、調整できる服装を。
毎年のこととはいえ、予想はつかない。まるで誰かの様だ。
今年の桜は三月末が満開で、もう一週間としないうちに薄紅は新緑へと変わっているだろう。植物たちからすればこの季節はどう思えるのだろうか。
明後日からまた急に暖かくなるらしいと、この気難しい季節に彼は生まれた。
そう。あと数日で音也の誕生日だ。
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プロフィール
性 別 | 女性 |
誕生日 | 6月14日 |