『風立ちぬ』のラストをジェイルクで考えていた。
以下は『風立ちぬ』のラストにも触れているので折りたたんでいます。
2013-8-22 22:22
TOA
フォミクリーと向き合うことを決めたジェイドの願いとは裏腹に、研究結果は後の大戦の兵器として大役を果たしてなんかして、こんなものを作りたかった訳じゃない、と思いながらも今は居ないあの子との約束だからとか、向き合い続けることが自分の償いの仕方だから、ここを動かないと決めてたり。振り返れば散々ではあったけどそれでも彼に誇れる自分で在りたいという思いは無くさないようにって、ネクロマンサーなんて言われていた自分が地に足を付けて食いしばるなんて誰の影響でしょうか、と。
フォミクリーの墓場だらけの草原に風が吹いて、そこにずっと待ち続けてくれあの子が「生きて」といってくれるなら、さて、何処まで足掻けるでしょうなんて言いながら、ここは夢の中だから、いいだろうと涙が止めどなく流れるのも許してくださいね、って風に消えた姿に呟いたり。
風立ちぬ、のラストをみた限りあれ?二郎さんお亡くなりしてない?と思えましたが、どうやら初期段階では「生きて」じゃなくて「来て」だったみたいです。生き抜いた二郎さんを先立った菜穂子さんが迎えてくれる、終着点形式のがしっくりきます。が、最終段階に落ちついた「生きて」の方が私は好きです。
あの夢は人生の途中で菜穂子さんに会いにいきたくなるような時が来たんだと思います。でも生きていたくても生きられなかった菜穂子さんが「生きて、生きて」と言ってくれるなら生き無精になってはダメだよね。残りの人生、次の世代に何ぞ残すや考えないとね、と再生への区切りがあのシーンだと受け取った。
実際の人物伝記は触れていないので、二郎さんその人がいつ生涯を終えたのかとか、その辺は考えていない妄想です。
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