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節目

9.11から10年。
3.11から半年。
なんちゅー日だろうか。
とりあえず徒然と書いていきます。


ついったーで「2001年9月11日何してた」ってハッシュタグがあったけど。
2001年だなんて、私はまだ悩みなんてあの子が嫌いとかしかなかったようながきんちょだったなぁ。

映像見ても何も思わなかったけれど、何が何だかわからなかった。
だからこそ、当時すでに大人になっていた人みたいに「現実だと受け入れるのに時間がかかった」とか「戦争になると思った」とかはなかった。

怖かったのは動揺しきった母と会話が成立しなかったこと。
あるいは、ニュースから伝わるそういう雰囲気が怖かった。
何で母やニュースの人が蒼白な顔をしてるのかわからなかったから、なんだか怖かった。

人が死んでる感覚はなかったから、事件自体に恐怖は感じなかった。
飛行機が大破したり、大きなビルが倒壊したり、直すの大変だろうなぁくらいに思った。
そのあとしばらくしてから出た911とかいうドキュメンタリーを見て、やっと人が死んだことを理解した。


映像を見ても特に何も思わなかったなんて、「映像」に相当慣らされていると。
今になって思う。

どっかで読んだことのある話。
人の死を映像化すると、リアリティが欠如する。
小さいときから見ているテレビの画面の中では、常に人が死んでいる。
アニメでも勧善懲悪ものならば「やっつける」という表現で悪は殺されるし、ニュースでは事件・事故が報道され続けてる。
その代わりと言ってはなんだが、近代社会になって、臭いものには蓋をとばかりに死を目の当たりにしなくなった。
これで一層死に対するリアリティは欠如していく。


これは、3.11の震災にも言える。
もしかしたらブログにも書いたかもしれないけど、テレビの映像で見ることになんてリアリティがない。
だからボランティアに行ったし、私が経験したことだけが私にとって震災のリアリティだ。


肝が座っているのか、他に動揺してる奴がいると冷静になるのか。
揺れたとき、私は友人と赤レンガにいて、友人の手を引いて高台まで避難して、途中にコンビニでお菓子買ったりしてたなぁ。
音楽聞いて気を紛らわしたり。
高台にあった公園で遊んだり。

夕方にバーミヤン入って、それから友人宅に泊めてもらって。
私はあまり寒い思いも怖い思いもしなかった。

でも避難所に行くと、小さい子が「お母さん死んだ」とか言ってたり。
中学生の子が「ばあちゃん見つかったから、来週葬式行ってくる」とか言ってきたり。
おばあちゃんが「波がぎりぎりまで来てねぇ、間一髪で助かったわ」って言ってたり。

色んな人がいて、それがみんな「被災者」でひとくくり。
マスコミは普通に
「じゃあ、3日ぶりに会った感じでお願いします」
とか注文を付けて撮影をしてくると聞いた。


マスコミによってヒーロー化された一部被災者のストーリーは、その人以外をその他にするけど。
表象される被災者・犠牲者は、その数字だけそのストーリーがあるわけで。




まとまらない。

まとまらないついでに、今日一番違和感を感じたこと。
「テロから10年の記念式典」
という表現。
記念なのか?
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