[utpr]春の話06、歪んで真っすぐ

[観察日記]
■歪んでまっすぐ


 忘れられる瞬間があると知った。
 カンちゃんたちとサッカーをしていた時だ。
 ボールを追いかけるのに夢中で、その時はそれの事しか考えられなかった。なにかに夢中になれば、母さんがいなくなった。忘れられるんだ。
 心が変に軽くなった。俺が悪いわけじゃない。
 これがどれほどの悲しみだとか、そういうのは分からなかった。泣くと湖の水かさがましちゃう。
 濡れて身体は重いのに、そのうち溺れそうなのに、それも怖くてどうしようもなく涙は止まらない。まわりにも同じように家族を亡くした子どもや、家庭の環境で親と一緒に暮らせない子どもたちもたくさんいたのに、笑ってる子もいるのに。
 だから、この悲しみは、もしかしたら持っていなくてもいいのかもしれない。
 その場所にいきたくて、でもその湖から這い上がる手段を、知らなかった。
 カンちゃんや、お兄さんお姉さんたちが笑っている理由がわからなかった。だいじょうぶだよ。
 いつかきっと。
 その言葉は魔法だった。
 母さんがよく言っていた言葉も。だいじょうぶ。
 大丈夫って何だろう。でも大丈夫って言うと、なんだか湖の水が減る。でもまた泣いちゃうと増える。だいじょうぶ。
 あ、また減った。笑いかたもね、真似するようにニコリと口の端に添えた、二本の指を押し上げる。
 なるほど。水の減りがはやい。体が軽くなって、湖からようやく這い上がれた先に、小さな子が、体を震わせて泣いていた。
 ああ、君もまだ上がりかたがわからないんだね。この子を守ったら、と思った。カンちゃんたちが、母さんがしてくれたように、ひとりぼっちからまもってあげれば、いい子にしていれば、きっといつか、湖がなくなる。もう落ちる場所なんてなくなる。ゆるされる。笑えない子どもがわらったら、ひまわりがさいたら。ねぇ、それまで、おにいちゃんがきっと、きみをまもるから。ひとりじゃないよ。おれは、ひとりじゃない。ねえ、笑って。
 口の端に添えた、二本の指を押し上げる。




[utpr]春の話05、アンチノミー

[Springreport]
■アンチノミー


 笑えない、といった彼に向けて自分が言ったのは、それでも「笑うことはできる」という事だった。
 この業界で生きている上で、いいえ、生きていく上で笑いたくなくても笑わないといけないときがある。感情をそのままに生きていくことなど、あまりにも難しい。
 HAYATOであったころに。痛く感じたことだ。心で一ミリたりとも笑わなくとも、口角をあげれば笑える。ウィスキーと唱えれば、口角はその形になる。それを繰り返せば、きっと慣れる。思えば、自分にも余裕がなかったのもあった。嘘をつくことが必要なときもある。そう伝えたかったのには、言葉がたりなさすぎて、それでいて口にする言葉はすべて己に突き刺さるものだった。
「そう、だよね」
 彼は、口の端に二本の指を添え、押し上げた。笑う方法を知っていた。それが、あまりにも歪に滑稽で悲しく、愛おしいと思った。


『大丈夫だよ』
 大丈夫じゃないときに出る、大丈夫。
 渋谷さんはそんなことを言う音也にきっぱりと「うざい」といえたそうだ。彼女の強さを羨ましいと思う時がある。そうだ。見るからに大丈夫じゃない人間の大丈夫など、気にしてくれと言っているようなものだ。そこまでは解る。その先の扉を開いていいものかどうか。それを聞いて、その先を担うことができるのか。それが恐ろしいのだ。引き出しを開いたとして、その責任を取ることができるかの覚悟が、取れるかどうかが怖いのだ。
 事あるごとに「大丈夫」という言葉に何度も苛立った。根拠のない言葉なら言わないでほしいと。

 それが、生きるための呪文だったと理解したのは、程なくして。

 悲しみとは何からわき出でるものか。喜びと悲しみの源泉はいつの時もひとつ。心がどう汲み取るか。どうしてそうもアンチノミーなモノを生み出せるのか。それは人間だからだ。人間が思考を持つ生き物だから。それを失えば、今の己の目指すものすら生まれなかったかもしれない。
 音也が抱えていた悲嘆を目にして、そう思われる。
 失ったものを埋めるように。失った母親がでてこないよう。その空いた穴を必死に埋めていた。
「太陽のようであれ」
 その言葉だけが彼の車輪だった。
 日常見上げる空にある存在として、目にするそれが、言葉を忘れず思いださせてくれたのだろう。
 繰り返していた言葉。

『生きてるならなんとかなるかもしれない』
 相手が生きているからこそ苦しいこともある。希望が捨てきれず歩み寄れず、元の形に収まらないもどかしさを、伝え解くことはできない。それでも、ええ、あのドラマを見た時に其れだとわかりました。伝えたい相手に言葉を聞いてもらえないとは、どういうことかと。

 音也がつかみ取った役は寿さんの弟役。ミュージシャンを目指し家を出た兄と、残る家族を支える弟。そんな殊勝な役柄ができるのだろうか。
「施設ではチビの兄ちゃんしてたし、お兄さんもお姉さんも沢山いた」
 と、台本を目に固まる姿。
 家族という形のあり方に不安を抱く音也に、語った自分も、本当にそれを理解しいているとは思えなかった。
 実際に観た映画は杞憂を通り越し、今までの知りえなかった時間を垣間見るようでもあった。ああ。無鉄砲に無邪気に無遠慮にふるまう彼だけが彼をなしえるものではないと。
 病院でのシーンが、話題となったシーン。
 見る人は演技力を褒め称えた。
 知るものが見れば、それはパンドラの箱が開かれた瞬間だった。とても危うく、リアルがあった。それこそ彼の中の追憶、箱から飛び出したのは悲しみ、怒り、後悔。それに気づけなかった自分の未熟さも。それを受け止めることを許された兄役の男に覚えた怒りも。

 ああ、あれは嫉妬だ。兄の腕の中で震えながら泣く姿に、それを本当の兄のように抱き締める寿さんへの言い知れない嫉妬を感じたのだ。
「いたっ」
「どうしたんですか?」
「台本で手切っちゃった。でもこれくらいなら大丈夫だよ」
 ちろりと覗く舌先の赤が、小さく膨れ上がる赤い血を舐めとる。
 口癖のようにいう言葉は、日常の中にあふれる。
 理解したとてその言葉が聞きたいわけではない。
 大丈夫じゃないなら、大丈夫じゃないといってほしい。
 それを理解できる人間に、私はなりたい。人は一朝一夕には変われないことは自分でもよく知っている。でも理解しあいたい。明日へと結んでいくためにも。
 そう願うばかりです。ダメですね。私も、結局まだ願うだけで、それを持つ覚悟ができない臆病さを捨てきれない。
「行儀が悪いですよ。ほら、手を貸してください」
「ありがとう、って、トキヤ!?」
 強く握れば新たに膨れ上がる赤を、同じように舐めとる。どうせ止血を施されるのであろうと思っていたのだろう。しますよ、ちゃんと。自分でしたときはおざなりの癖に、人がすると途端あわてふためく。まあ、無理もない。他人にそんなことされて快いわけない。どうしてこのシチュエーションはテンプレートとしてあるのか。そう思いながら、彼が生きている証拠でありながら、到底美味とはいえぬ感覚が口に拡がる。
「だいじょうぶ?不味くない?」
「大丈夫です。ちゃんと不味いですよ。血の味が美味しいと感じたら、ドラキュラなのかもしれませんね。ほら、手を洗いに行きますよ」
「不味いんじゃん。どうしたのさ、今日は」
「シチュエーションに対しての見解を広めようと思いまして。いざやると、これが絵になるのか疑問が浮かびましたが」
「いや、こっちとしては、かなり心臓に悪い……」
 居心地悪そうに目をそらすが、かまうものか。
 彼からよく綺麗好きだの潔癖だの、言われている。確かに、他人の血など舐めても不衛生極まりないのに。あなたはそもそも、私がそれを許す相手になっていることに気付かないのか。私がこうする意味を、もっと深く考えてください。






[utpr]春の話04、アザミの太陽

[Springreport]
■アザミの太陽


 知らないものに飛び込む時って、スッゴいドキドキして楽しいけど、楽しさ半分不安半分なんだ、実は。ほら、食べたことない料理を食べるときとか、どんな味がするかわからないじゃん?不味いのか美味しいのか。そんな時に怖がってた子を安心させたくて、俺が食べてみよう!って思ったのが最初だったかもしれない。それが超おいしくてさ。こんなにおいしいものを一番最初に知ることができるなんて、ラッキーって。美味しいかまずいかなんて、結局はその人の好みなんだし。でも怖いんだよ。それを食べて死なないのか。食べたら死ぬものがあることを知ってるから。知れば知るほど、怖いものが増えてくる。それが大人になることかもしれない。フグに毒があるってわかったのに最初に食べた人はすごいよね。

「俺を好きになって、怖いことたくさんあるんでしょ?俺も全くないわけじゃない」
「ならばあなたは私を安心させたくて、先んじて告げたと?」
「あー、違うような。違わないような。男同士で付き合うことが怖いなら、やってみれば案外怖くないかもしれないかもよって、思ったのは本当。でも頭で考えすぎるより、確かめてみればいいんだよ実際に、って思って」
 でもさ、説明できないんだよ。この気持ちは俺にも。好きになったのがトキヤな事しかわからないから。それでも私には猶予が用意されていた。受けるも断るも。この男はこういうところが狡い。
「それが臆することなくできるのは、あなたの美点ですよ。だからこそ今がある。ですが、今後はもう少し順を追って、かつ慎重に口にしてくださいね。もしも公で言われたときには堂々と否定しますよ」
「言わないよ。この気持ちで誰も傷つけたくない。それはお互いのファンの事もさ、仲間も、お前の事も」
 以前のあなたなら、自分の気持ちに嘘をつきたくないと、気持ちを押し通していたかもしれません。時折、あなたの好きと私の好きは、もしかしたら厳密には少し形が違うのかもしないと思えてくることがある。音也の口にする好きは、どこまでも綺麗で大きく広い。なのに私の好きはどんどん相手を小さな箱に閉じ込めるような、そんな好きのように思える。音也が私の事を好きといっても、周りから見れば友好としてとらえられるような気もするが。それくらい、分かりづらい境界線なのは、言われたこちらも思うほどだ。私はそれを押さえながら口にすることは出来ないだろう。だから公然でその言葉を避けてしまう。
 俺は好きになったらどんどん好きになっちゃうから。きっとこれからもどんどん好きになる。こうもまあ相手に向かって好きを臆することなく、何度も伝えることができるのは、一種の才能ではないだろうか。
「ああでも」
 笑顔のままで努めて凪ぐ水面のような声音。そらした目線が、三度の瞬きののち再び合わさる。
「傷つけたくないから。もしもこれから先、トキヤが俺の好きを重たく思うときがくるかもしれない。その時はちゃんと言ってね。怖くて怖くてどうしようもなくなったら、そう言ってね」
「それは楽しみですね」
 言ってどうなるのですか?
 熱され冷却され、刀を打つときのようじゃないですか。私の方が先に愛想をつかすと決めつけられたことに笑いが出そうになった。傷つけたくないといったその口が、今、小さく棘を埋め込んでいく。
 楽しいと言って薦めていた漫画も、今は音沙汰もないじゃないでしょう?あれはどうしました?すぐに気持ちを切り替えられるあなたは、本当にその想いを明日に運び続けられますか。私が閉じ込める小さな箱で生きていけますか。好きだと言われて心躍ると同時に、冷水をあびせられる。本当に度し難い。どうしてこんな難しい男を好きになったのか。愛を伝える合う瞬間はもっと心踊る瞬間だと思ったそれは、聞けばうれしいと同時に、言い様のないもどかしさを感じ続けるばかりだ。







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