[utpr]春の話09、オールトの雲より

[Springreport]
■オールトの雲より


「住むのなら、線路越しに会いに行ける場所がいいな」
 芸能の世界へ本格的に足を踏み入れる第一歩として、とにもかくにもまずは住居の確保だ。学生寮、事務所の寮、マスターコースの寮、年々目まぐるしく引っ越し作業が伴ってはいたが、これからの仕事と生活を考える流れになり、彼はそういった。一緒に住むとまではまだ行かなくとも、付き合っているのだからてっきり住む場所も近くを選ぶと思っていたら、電車で15分。どういったわけだ?驚きと、少しばかりのショックを受けていた。


「会いに行きたいから」
 決まった住処に荷物の運び入れも終え、近くのカフェで一息つく。
 離れていると、会いに行きたくなる気持ちがぐっと強くなるんだ。学生の頃のこの男からはきっと出なかったであろう言葉。
「美味しいアイスを買ってもさ、すぐに届けにいけないし、だから二人で買いに行こうと思うだろ。あ、でも作りすぎたからちょっとお裾分け!ってのが出来ないのはな〜。ってトキヤ作りすぎることないか。俺の作ったもの食べてくれる?ありがとう。でもそんな距離がある訳じゃないから、自転車でビュンって届けに来るよ!タッパーに詰めて。え?食べに行くから呼べ?へへへ。トキヤも自転車乗れば?バイク?あ、車か〜うん。いつ来るのかな?って待ってくれてると思うと、早く会いたいなー!って思うわけ。それにね。会いに行くのも好きだし、待つのも好きだよ。いつか来てくれるってわかる人を待つのは」
 それとて都心区の中にあるのだから、遠距離なんてものではないが、気安く訪れるにはなにか足がないといけない。音也は一人暮らしと共に持ち始めた自転車が乗りたくて仕方がないようだ。
 会いに行くから、会いに来て。
「近くだったら、それはそれでいいこと沢山あるけど、離れていることでもいいことってあるんだよ。あれ言えるじゃん。言ってみたいんだ。『今日は帰りたくない気分。泊・め・て』って」
 上目遣いに何かを参考に模したのかは知らないが、文章に起こすと主張するであろう中点のノリは、自分たちを鍛え上げてくれた先輩の存在がちらつく。
「それを言われた日には真夜中だろうと、大雨の中だろうと、帰れという自信しかないですね」
「トキヤが言ってくれてもいいんだよ」
「そんな風に言わせてみてから言ってください」
「うん!……ん?」
「それはそうと。線路のこだわりは何なんですか。純粋な興味として」

「線路ってさ、俺の中の旅の代名詞なんだよ」
 施設にいたころ切符をかってカンちゃんたちと……施設で一緒に育った兄弟みたいな存在なんだけどね。カンちゃんたちとサッカーの試合を見に行った時、初めて電車に乗った。違う場所に連れていかれるんだって。俺は東京で生まれて、ここしかしらない。はじめて切符をかって電車に乗っていったのは埼玉だったけど、ワクワクすると同時に、怖かったんだ。もう戻れないかもしれない。でもここに置いていかれたら、俺はどこに戻ればいいの?って、カンちゃんの手をずっと握ってたんだ。だから、今も線路は、目に見えるのにね、電車は、どこかとここをつなぐ場所だと思ってる。乗る人の中にはさ、そのままどこかに行って、ここに帰ってくることのない人も、いるかもしれないじゃん。

 ヒマラヤの雪山にビッグフットと戦いにいった男のセリフとは思えない。県外どころか国外すら出ているのに、外の世界をつなぐのはこの連なる箱なのだ。
「トキヤはさ、福岡からこっちに来たときどう思った?生まれた場所を離れる時、心細くないの?」
「線路は魔物でしたね」
 東京へ越してきて、何より一番困ったのは駅の広さと、路線の多さだ。せんろはつづくよどこまでも。旅情とは裏腹、東京の路面図を見た途端選択肢の多さに、タコのようなモンスターだと思った。
「今は飼いならしていますけど、あの頃の私にも魔物と戦うのだと、思っていました」
「魔物って。なんだかそのトキヤ想像するとすっごくかわいい。いや、必死なんだよね?ごめんごめん。そういえば福岡の、どこだっけ?実家」
「博多駅には近くはありました(※)。空港からも距離はあまり遠くないですし。ただ、子供のころどこかへ遊びに出回ることもなく。小学校を卒業してからこの業界に入って、駅と空港と家。正直それくらいですよ。産まれの地について私が知っていることなんて」
「そっか」
 心細くはなかった、とは言えない。どんな家だったにせよ、離れてみて自分が違う場所に『帰る』という事への違和感を中々ぬぐうことができなかった。
「ああ。でも最近は地元の駅の装いも随分変わったみたいです。テレビで見ましたが、知らない場所になっていました」
「へぇ。いつか行ってみたいな。トキヤの故郷」
「……ええ、いつか」
 あなたと共に色々な景色を見たいですね。
「…あ!複雑って言うと俺の中学ん時の修学旅行大阪だったから、それも県外になるか!あれだよ。梅田ダンジョン!」
 ……雰囲気づくりという言葉はこの男にはないのか。

「そういう考えなら、一緒に暮らすのはそれに満足した後でしょうね」
「もう考えてくれてるの?」
「例えばの話です」
 果たして満足するのだろうか。先々のことを考えても前途多難だ。度々、なぜ自分はこの男のことが好きなのだろうかと哲学してしまう。好きに理由など要らないとも知らしめるのも、結局この男なのだ。
「自分の時間大切にしたいだろうから、一緒にいると俺、お前の時間、全部自分の物にたくなりそう。たまには一人になりたいでしょう?あ、でも完全に忘れちゃやだよ?寮生活の時は期限があって、今からはそれがない。それに今からどんどん忙しくなるんだからさ!お互いすれ違うことか、家に帰らないことが多いかもしれないけど……」
 一緒に暮らすのに、一人の家。
「ならばお互いどちらかが音をあげるまでそうしてみましょうか」
「頑張ってみるよ!」
「……頑張るという事は、一日でも長く私と離れていたいと?なるほど」
「え!ちがっ!トキヤはそうやってちょいちょい揚げ足とるなぁ」
「私は勝つ自信しかありませんね。早く根負けしてください」
「そういわれると、意地でもトキヤから言わせたくなるじゃん」
 変なところで意地を張り合う。くすくすと肩を揺らして笑っていたのに。
「ただいまとお帰りが、一つのところに集まったらいいな」
 夢のように語ることに、彼の中では夢のままという。眉間にピクリとしわが寄ってしまったが、何とか受け流す。無垢な残酷さを感じた。いや、この男の踏み込めない場所と、それに踏むこむための自分の勇気が足りないのだ。いつもどこか目の前の私ではなく、遠くにいる存在に祈っているようで。軽々と飛び越えてきたこの男の、本当の気持ちの形が、実はまだ見えてはいないのだ。まるで何かが流れてくるのを待っている、ゆるい川が二人の間に流れているようだ。





(※)どこもかしこも捏造ですが、博多周辺設定にしてます。音也の修学旅行先も本編にはそんな話ありません。駅も、阪急などが入る前の駅など、時系列も捏造捏造。
音也と電車のイメージは、ゲームの初登場が電車の中だったので、そのイメージと、趣味です。

[utpr]春の話08、独奏曲

[Springreport]
■独奏曲



 人は同じことを繰り返すことを怖がる。
 この世に二番煎じという言葉があるからだ。同じ言葉も言い続けたら飽きが来るようで、違うものを聞きたくなる時が、必ずやってくる。
 だから、それを避けようとあの手この手のアレンジを加える。
 好きなものを何度も見てはいけないのか?


「楽譜通りで心がない」
 そう言われた時を何度も思い返す。
 正確さこそ大切だと思っていた私は、下手にアレンジでごまかそうとするものこそ滑稽に思えた。作り手の記す楽譜の世界は、その形で表現してこそ真価が問われるのではないか。

 しかし音也か何度でも言う好きという言葉には、どうして、毎度こうもざわめくのだろう。
 あなたの好きには、何があるのですか?
 不思議でたまらない。そういうと、
「好きって思う瞬間はその一瞬しか出会えない。厳密に言うと、同じ好きってのはなくて、その時好きって思うのって、こう、いろいろ違うんだよ!空の色みたいな感じ?その時の何を好きに思って好きっていっちゃったのか。それはその時の俺にしか言えないし。今トキヤを好きって思ったのは、俺の好きを、受け止めてくれて、それでそれはどんな味って、すっごく考えてくれてるから。俺の事、すっごく考えてくれてる。それが嬉しくて、好きって思う。でも明日になったら、ううん、もう今この瞬間でも、俺の好きって気持ちを考えてくれたトキヤがいたって知ってる。そのトキヤがいたのは絶対心に残っている。そのトキヤを知っている俺が改めて考える、好きって気持ちが、どんどん繋がっていくんだよ。だからね。同じように言ってって言われたら一番難しい。できないよ。そんな感じ。なんだかおなか減ったな……」
「好きという言葉がゲシュタルト崩壊しそうですし、なぜそこにたどり着くのか、まったく理解不能です」

 ふと、クラシックのそれなのかと思い至る。
 サラサーテのヴァイオリン独奏も、果たして今まで何人の手でこの世に送り出されていたのか。
 クラシックこそ、解釈の世界だ。
 楽譜に書かれた図式は一つなれど、そこに見える景色は差万別十人十色。指揮者の解釈、奏者の技量のこすり合わせ、世界に一度だけのオリジナルの景色を生み出す。同じ音を作り出すことはできない。その瞬間にしか生まれないものだから。
 それに近い気がする。
 解釈を叩きつけるのだ。
 その言葉を表現するためのオリジナルの解釈。
 「すき」といういたくシンプルな二文字の間にある世界は、私の解釈でしか表現できない。
 本来、思考を伴うとはそういうことでは。

 頭の中を駆け巡るツィゴイネルワイゼン。
 音也といるとたびたび思い出させてくれる。






[utpr]春の話07、ひろくん。

[観察日記]
■ひろくん。


もちろん施設にはたくさん家族がいた。
かあさんだけじゃないんだ。ご飯を一緒に食べる人は。
でもそれ、家族っていうより、学校だろ。
そういわれて、そうかもしれないって思っていた。小学校や中学校で暮らしているのとどこか似ていて、今にして思えば、一番近いのは寮生活なのかもしれない。
それって、でも、寮が寮だってわかるのって、寮じゃないところで暮らしていたからなんだ。
俺も、本当は知っていた。でもこれは俺の家族。家。みんなもそう思っている。そう思うようにしている。
毎年誰かがいなくなって、新しい子が入ってくる家族。おとうさん おかあさん おじいいちゃんおばあちゃんは いないけど。兄弟が沢山いる、家族。おかあさん おとうさんってそう誰かを呼ぶことって、長らくなかったな。

アイドルになってビッグになる!って言ったとき。ドラマの役者さんもやるの?ってチビたちに聞かれて、その時はよく考えていなかった。アイドルって歌うだけじゃないのは知ってるけど。ドラマは皆と一緒によく見てたし。そこに描かれている家族を知っていれば充分だって。ちゃぶ台をかこんで、同じテレビをみて、一緒に晩御飯を食べて、おかえり、ただいま、いってらっしゃい、いってきます。そんなの俺たちだって言ってる。

初めて「おとうさん」と呼んだのはドラマではなく、役名もない、怪獣映画で逃げ惑う民衆のエキストラ。
準所属として言い渡されたのは『ファンを1万人にして、ライブ会場を満員にする事』だった。だからまずは知ってもらわなきゃ!貰える仕事はひたすら受けた。

崩れる予定の駅から逃げ惑う民衆。
一緒になった俳優さんは親子といっていいほど年が違って、お父さんがいたらこれくらいの年齢なのだろうかと、息子は君くらいになってただろうね、って話になって。あまり多くを聞いてこないその距離感が心地よかったし、そういわれたのがくすぐったくて。一度だけ試しにおとうさんって、呼ばせてもらった。口をそう動かすことに慣れてなくて、変な感じだねって笑い合って、その後ちゃんと「今度ライブやるので、よければ見に来てください」って宣伝した。

撮影本番。逃げ惑いひしめく数百人の中、それでも誰もがカメラを意識して何かを演じ合う。俺は怪獣がいる、だろう場所を何度か振り返りながらもうまく言葉が出てこなくて、あの俳優さんの姿を無意識に追う。周りの必死さに焦るばかりだった。
視界からあの人が消えた。足がもつれこけてしまった。こんな混乱のシーンだ。ひとりふたりこけた人がいる方が臨場感があるかもしれない。今にして思えばそうだけど、ただ単純にその人はそのままだと逃げ切れない人だと、思ってしまった。巻き込まれて、死んでしまう人。ついさっき、ほんの一瞬だけ生まれた親子。せっかく俺を息子と呼んでくれた優しい人。

「おとうさんっ!」
引き上げるように手を伸ばした。その人も目を丸くして、それでいて手を伸ばしてくれた。
「ヒロッ」
そういって手を取って足をかばう父を支えながら逃げるほんの一瞬の。ストーリーはない。2人だけのドラマ。もちろんオンエアではかろうじてこけた姿こそ使われたものの、画面の端で、俺は一、二秒くらい。駆け寄った足元と、その役者さんを支えようとする腕を回すその一瞬だけ。悲鳴にかき消され、その言葉が残ることはなかった。だけど、そのときそこに、一組の親子がいたんだ。




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