他人からいざという時に頼られる人は、他人に『この人になら頼りたい』と思わせるだけのものを持ってるから。
それは相手の気持ちを汲み取ってあげられるだけの器の大きさだったり。
相手の心に寄り添って、相手が望んでいる言葉をかけてあげられる洞察力だったり、色々あるとは思うけど。
『みおって人を頼らないよね』とか『一人で抱え込むタイプだよね』って言う人たまにいるけれど、『それは私があなたにそこまで頼れないんだよ』って思う。
もちろん全部が全部頼れない訳ではないけれど。
自分にとって悲しいことや辛いことがあったとき、誰かれ構わず『話聞いて?』って言える人なんてほとんどいないでしょ?
大体の人が話す相手を選ぶと思うんだ。
なのに、『頼らないよね』とか『一人で抱え込むよね』とか言う人達に限って、私が話したい相手としてその人達を選ばないことを、何故か選ばない私が悪いかのように言う。
『もっと心開いた方がいいよ?』とか。
…それは違うでしょ。
私にだって選ぶ権利はあるよ。
大事な時に、話を聞いてほしいと素直に思える人はいるよ。
でもそれは、私がそう思えるほど相手が私をいったん全部受け入れてくれるから。
受け入れて、その上で叱ったり励ましたり、時にはちゃかしたり、時には一緒に泣いてくれたりする。
頭ごなしに否定したりしない。
『この人になら頼ってもいいんだ』と思える瞬間を何度でも与えてくれる。
逆に私だって、大事な人が抱えてるものを私に話してくれなかったら寂しいし悔しい。
何が悔しいって、私が大事な人にとって打ち明けてもいいと思える相手ではなかったこと。
人間なんてみんな弱いからね、基本的に誰にも弱音を吐かない人はいないと思う。
自分が選ばれなかったのは何故だろうって、何が足りなかったんだろうって思うからこそ、『私を選んでよ!』なんて言えない。
所詮人なんて他人同士だから。
自己愛と自尊心だけじゃいい関係なんて造りようもないよ。
愛情も同じじゃん?
相手のことも考えないで自分が愛したいように愛してたら、『重たい』とか『分かってない』って言われて離れられちゃうんだよ。
自分以外の他人の気持ちを考えてあげるだなんて一番難しいことだからこそ、それができたら相手にとって自分がかけがえのない特別な人になれるんでしょ。
…なんてのをつらつら並べてみても、色々難しいのが現実なわけです。
むずかしー(´‐ω‐)