ひだまり

私が思春期に入った頃、父は私にお兄ちゃんの部屋にいる際は、扉を開けておけと言った。
私には、何故、父がそんなことを言うのか分からなかった。
そして、父の言いつけは守ったまま、お兄ちゃんとのイチャイチャ時間(これは主人が聞いて、あとから命名したもの)
すると、父がお兄ちゃんを呼び出す。
お兄ちゃんは私に『らいむは気にしなくていいよ。お兄ちゃんが守ってやるからな。おとなしく待っててね』と私の頭を撫で、スッと部屋の扉を閉めて行った。
私は、おとなしく待った。
隣の部屋から父とお兄ちゃんが言い争う声が聞こえる。何を言っているかは分からなかったが、なんとなく私のことなのだと思ってた。
そして言い争う声が消え、お兄ちゃんは扉を開けたまま帰ってくる。
『いい子にしてたな』
また頭を撫でられる。
週末しか、お兄ちゃんの家(祖母と祖父もいる)には行かないので、毎週末それは、繰り広げられた。
なんの喧嘩をしているのだろう?
そう思ってはいたが、あえて聞き耳は立てなかった。そんなことをしてはいけない気がして。
お兄ちゃんは、いつでも優しかった。体のあちこちを撫でてくれた。
とても落ち着いた。安心できた。
唯一の憩いの時間だった。
兄弟喧嘩の内容が私に関することだとは察していたが、お兄ちゃんが何も言わなかったので、私も聞かなかった。
父が何に怒っていたのか知らない。知ろうとも思わない。
私は、私が私でいられる時間を壊されたくなかった。
家に帰れば、そこは地獄。
お兄ちゃんとお兄ちゃんの部屋が私の唯一の救いだったんだよ。
今も忘れない、お兄ちゃんの匂い。
お兄ちゃんのしたことは最低のことだったけれど、私はお兄ちゃんに救われてもいたんだ。だから…お兄ちゃんが望むなら私は…
私の居場所を作ってくれたお兄ちゃんには感謝してる。
お兄ちゃんがいなかったら、私には地獄しかなかったから…

階段が怖い


話題:イジメ

あれは小学四年生の頃。
理科の授業のあと、私は先生に言われ、フラスコやらビーカー等を片付けることになった。
両手にいっぱいのビーカーとフラスコ。
教室は二階にあったので、一階まで、その状態で降りることに。
すると階段まで来たところで、同級生が笑いながら私の背中をドンっと押した。
もつれるように階段を駆け降りるかのように動く私の足。体は前のめり。両手は理科の実験道具で塞がれてる。このままいけば顔面から着地か。
後ろから聞こえ続ける笑い声。
そして、あーもうダメだーと思ったその時、何故か私は、お尻からペタンと着地した。私にも何が起きたのか分からない。分からないながらも、フラスコとビーカーを確認。問題ない。
私はスクッと立ち上がり、理科準備室へ
もうその頃には笑い声は聞こえなくなっていた。
いや、私が着地した瞬間に笑い声は消えたのだ。
誰が押したかなんて、もうどうでも良かった。同級生の笑い声だったのは確かだったので、イジメだったのだろう。
だがその一件以来、私は階段が怖くなってしまった。

初めての交通事故

あれは私がまだ幼稚園の頃だと思う。
それは母と妹と買い物に行く途中だった。
妹は母に抱かれ、私はプラプラしてた。
歩道の信号が青になったので、私は歩き始めた。
そこから記憶が飛ぶ。
気がつけば私は、ワンワン泣きながら救急車に乗っていた。救急車の人が飴玉をくれたのを覚えている。
母の話だと、私はどうやら信号無視のタクシーに轢かれたらしい。その証拠に私の両足にはクッキリとタイヤの跡が残っていた。
病院に行って、いろいろ調べられる私。
しかし、どこにも異常はなく、湿布を処方された。
病院の先生がタイヤの跡がクッキリ残っているのに足に異常がないことを不思議がっていたのを覚えてる。
これが私の初の交通事故である。
因みに轢き逃げではない。タクシーは直ぐに停まり、タクシーの無線で救急車を呼ぶ手配をしてくれたそうだ。
何故、私に轢かれた記憶がないのか不思議だが、きっとスゴく怖かったんだろうな。
救急車の中でも痛いというより、怖さで泣いてたし。ついでに言うと人生初の救急車乗車経験でもある。今のところ救急車体験は、これっきりである。
タクシーが綺麗に足を轢いたのに、足が無事だったのも謎。私の体(特に骨)は案外、頑丈に出来ているのかもしれない。

四面楚歌

周りは全て敵だらけ。
前の旦那の息子への固執は、自身がもつ固執ではないことは知っていた。
どうせ姑と子姑の固執だろう。
私から物理的に奪おうともしたしね。
それも理由は、跡取りということと、自分等の玩具にしたかったからだろ?
それを私が知らないとでも思ってた?
可愛がるだけで、躾をしないなら、それはお人形遊びと同じだよ。本人達は気付いてもいないのだろうけど。

私は子を産んで直ぐに、邪険にされた。
いや、使用人化されたのか。
姑が仕事に行っている間、息子の世話をして家事をする使用人。
母乳の間は、まだ良かった。しかし、息子が離乳食を始めてからソレは始まった。
まあ母乳時代も、ちょくちょく来るからストレスだったけどね。やっと寝かせつけたのに、起きてる姿が見たいからという理由で息子を起こされたり。
旦那には、子供の成長に悪いから注意してくれと何度も言ったのだけど、自分勝手に息子を起こして連れていくのは、最期まで改善されなかったね。

私が使用人化されて1番嫌だったのは、毎日『ご飯食べさせた?』と聞かれることだったな。この人の頭はおかしいのか?と思ったよ。我が子に、ご飯食べさせない親がいるか?普通の親なんだから、食べさせるに決まってるだろ?
それとも何かい。姑は我が子に、ご飯を食べさせなかったのか?
この問いが私には、目茶苦茶ストレスだった。そして、あー早く私から子供を奪いたいわけね。って思った。現に私に言わずに、何処かへ連れていくしな。
まあ、子を産む道具とか言われてたから、奪うんだろうなとも思ってたけどね。

周りは全て敵だらけ。
私の味方はいなかった。
誰もかれも、私と息子を引き裂こうとする。私の息子なのに!私が産んだ子なのに!私の光なのに!
敵!敵!敵!
姑も子姑も旦那も私の親も全て敵。
そんな時期があったんだよ…今は遠い昔。

カンパ

話題:中絶

あれは高校生の時だったか。
夏休みの終り頃だったと思う。
まあ夏休みといっても、昼間バイト三昧の私には、あまり関係なかったけどね。
そんな帰り道、同級生に会ったんだよ。聞けば、私の帰りを待ってたんだと。
何の用かと聞いた。
すると、高校で出来た同級生が妊娠したからカンパしてくれだと。
頭が一瞬で沸騰するのを感じた。
つまりアレだ。彼氏と避妊しない性行為をして、妊娠したから中絶したい。でも金がないから、見ず知らずの私にカンパさせようという魂胆だ。
まったく、中絶をなんだと思ってる?
人殺しだよ、人殺し。
やむを得ない状況下(例えば強姦)での妊娠なら仕方ない部分はあるだろう。しかし、よりにもよって、後先考えずに性行為をした結果の妊娠。そして中絶。
人一人の命をなんだと思ってるんだ!
私は『そんな知らない奴に出す金などない』と断った。
するとなんて言われたと思う?
冷たい女、ケチ、人間の感情ないの?等々、罵詈雑言の嵐だったよ。まあ無視して帰ったけどね。
そもそも私が知らない女なのに、私が金を出す義理もないだろ?
それに金を稼ぐことをなんだと思ってる?
昔の物価は、今の物価より安い。つまり賃金も安い。就労学生の私は、雇ってはもらえても、一般パートより更に時給が安い。
ハッキリ言ってしまえば、私の当時の時給は460円だ。
働いてるんだから金を出せだと?
知らね。おまえらこそ、金を稼ぐ大変さを知ってるか?
それをふまえて、見ず知らずの身勝手に金を出せと言えるのか?
そもそも中絶したければ、相手の男にも出させろ!さもなくば親に泣きつけ!
カンパなんかしてるのは、そのどちらもやってないからだろ?
先ず、親に告白して叱られろ!
男にも責任とらせろ!
そして同情を誘うふりして他人の金をあてにするな!
まあ勝手に同情したのは、同級生なのかもしれないけどね。
私?
私は同情なんてしない。それは身勝手な結果だ。中絶される腹の子には同情するけどね。まあ、こんな身勝手な中絶を決めるような女のもとに産まれても、いいことなかったとは思うけどね。
因みに、その後の話は知らない。

注:文中の『おまえら』は同級生達に宛てた言葉であり、読み手の貴女方のことではありません。
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