私は、あの時、切羽詰まっていた。
死への恐怖が身近にあった。
半分は覚悟していた。諦めていた。
市役所は助けてくれなかった…
生活保護の手続きさえ、させてもらえなかった…
私は覚悟していた…餓死を…

私のメンタルが再び不安定に陥ったのは、同年の2月である。
私は自分の今の病名を知らなかった。知っていたのは、以前かかった病院で言われたことだけだった。
(※2004年9月に精神障害判明)
そして同年5月…私と主人は大喧嘩をしている。
私は働きたかった。
だから病をどうにかしたかった…
主人に病院に行く旨を話した。
主人は怒り狂った。
そして私を「お荷物」だと言った…

その時の私の落胆は酷かった。
それまでも主人が働かない時期はあったけれど、私は、その度に働きに出て…体調を壊すまで働いて…でも主人は、そんな大切なお金を大切だとは思ってくれなかった…
私の努力は、いつも水の泡だった…
でも、そんなことは慣れていた…
だけど信じてはいたんだよ…この人だけは私を都合のいい道具にしないと…

今の病名が分かったのは、2010年11月…
よくまあ、私の貯金は保ったものだ。
主人が何故、その時になってやっと、病院に行くことを許してくれたのかは分からない。
ただ、私の心は崩壊寸前だった…
自殺しても、おかしくはないくらいにね。
それでも、まだ冷静な方だったのかもしれない…
私は社会に殺される…
そう思ってはいたけどね…

まあ、なんにせよ…アレから、けっこう経ったんだなぁ…
私は、まだ生きてる。生きようとしている。
我ながら、自分がこんなにしぶといとは思わなかったね。
2004年に無意識に自殺未遂を繰り返した人間と同一人物とは、到底思えないよ。
でも忘れない。
社会に見殺しにされそうになったこと…
私は、けっして忘れない…