最初で最後の妊娠

私が妊娠に気付いたのは、21歳の誕生日を迎える前だった。
正直、悩んだ。
私は私が他人とは違うことに、なんとなく気付いていた。
私は精神病なのではないか?
なんとなくだが自覚があったのだ。
そんな私のもとに子供が…
もし仮に、精神病だとして…私に子供が育てられるのだろうか?
いや、それ以前に、私はマトモな子供の育て方なんて知らない。
自分が親にされたこと…それはマトモではない育て方…
私の両親が妹達にしたこと…それもマトモではない育て方…
私はマトモに育つ子供の育て方を知らない。
その上、私は誰かに愛情を抱いたことが無い。
そんな私が子供を愛せるのだろうか?

そのほかにも不安はあった。
先ず、自分の両親。そして、どうも同系統であると思われる夫の母親…
彼らは自分らの実子である私達ですら人間とは思っていない節がある。
孫…彼らにとってそれは、責任を負わなくていい愛玩と同意ではないのか?
私は我が子を守れるのか?
両親に逆らえるのか?
私の中に巣くう父親への絶対的な恐怖…
だけど…私は我が子を私のようにしたくない!
もう二度と私のような人間を育てて欲しくない!人間として扱われない人間なんて…自分を呪うことしかできない人間なんて…そんなのは、絶対間違い。
そんな人間、常識的にいていいはずないんだ!
…私はいい。…私はもう手遅れだ。
だけど…
私の苦悩を我が子にまで背負わせたくないんだ。

罪と罰

今から18年ほど前…
既にその時、私の精神は壊れかけていた。
望まれて嫁いだはずだった…
が、そこに私の居場所はなく、望まれているのは跡継ぎを産む道具としての自分。
私自身の感情や意見は必要無い。ただ道具であればよい…
閉塞感と絶望感、そして罪責感が私を苛む。
もっとも、罪責感と絶望感だけは今始まったことではなかったのだけど。

夕方が怖かった…
土日祝が怖かった…
私の全てを全否定され監視され続ける毎日。
辛かったのか?
それは今でもよく解らない。
否定されるのは慣れていた。私は実家では人形だったから…感情は端から望まれていないのだ。
だから悲しかった。
私は人間なのに、誰も私が感情を抱くことを良しとはしない。意見なども要らない。
相手が望むのは優越感を満たす道具としての私。命令を着実に遂行する人形としての私。
生まれ落ちた時から、そんな生活を強いられていれば麻痺もする。
その上、嫁ぎ先まで同じ状況であれば諦めもする。
私は誰にも望まれてなどいない。
これが罰。
生まれない運命にあった兄弟。その真ん中である私だけが生まれた罰。
罪は償わなければいけないのだ。そして、その罰に苦痛を感じたとするなら、それは感情を抱いた私が悪いのだ。
人形は人形らしくしていればよい。
自由など求めてはいけない。
だけど…
私は私を救えない自分に苛立ちと憎悪を抱き続けていた。

メンタル)クリスマス・イブ

昨日は、とても疲れた。
イブだもんね…私はキリスト教じゃないけど、まだサンタを信じてる…
もっともソレは品物をくれるようなサンタではなくて…笑顔を…誰かを笑顔にする何かを運んでくれるサンタ…

私にとってのサンタは、やっぱり家族。
主人が楽しそうにしてくれた。笑ってくれた。
それが私へのプレゼント。
それがとても嬉しい。
私にも、まだ人を笑顔にすることができる。それも嬉しい。
だけど、疲れた…

低迷がちな気分を盛り上げるのは疲れる。
不安じゃない顔をするのは疲れる。
どうでもいいことを喋り続けるのも疲れる。
私は元気だと…私は楽しいのだと…
そう主人が思ってくれないと、主人は笑ってくれない。
たぶん本人は気付いていないんだろうけどね…
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