10年前の夏。
祖父母は死んだ。
自分にとって盆の帰省は、仏壇を参ること。肝要。

内気で快活さに欠ける子供であった私を、何故だか祖母は好いてくれた。
両親さえもあまり褒めない私の気性を『好きだ』と明言した祖母は、同様に快活ではなかったのだ。


亡くなってから暫くは、残された自分等の悲しみにばかり気を取られた。もっと話がしたかった。
だが数年経った頃、気が付いた。祖母だって死にたくなかったに違いない。

人間というのは。大人でも子供でも何歳であろうと、今生きている現在が最前線ではないか。加えて、年を重ねた分だけの深い想いや絆もあったろう。
残された者以上に、堪え難く悔しい思いで生を閉じたはずだ。
もっと話をしたかったのは祖母の方かもしれない…
と思うようになった。

祖母にはもう会うことが出来ない。けれど私には、これから先も誰かと出会い、実りある時を過ごすチャンスが幾らかあるだろう。

薄弱で。偏屈はなかなか治らないが‥
少しは成長したい。
祖母の温情に恥じない自分になりたい。

そんな盆の帰省。咲け。