昼寝した。
けどやっぱり三時間以上断続的に眠れない(∋_∈)
目が覚めてもダルくてしばらく動けないし。
そろそろ出席日数など問題が深刻化してきたぞ。
でもね、今日は近所のなか卯で懐かしい曲が流れてて、ちょっと幸せな気持ちになった。
スラムダンクの初代OPだった曲で大黒摩季が歌ってるやつ。
中学でバスケ部入った頃にちょうど再放送してて、本当に大切な思い出。
スラムダンクの曲には思い出深いのいっぱいある。
“煌めく時に囚われ、夢中でいたい。後悔する、素敵じゃない。独りじゃないし。”
この詩が入ってる曲が好き。
夢中になっていたことをして後悔するなら確かに本望だ。
ましてやバスケ部なんて団体競技で同じ煌めく時を過ごした仲間がいるんだから。
今でも思い出すと胸が熱くなる時があるくらい鮮明な記憶。
私にアイデンティティーと居場所を与えてくれた、大切な時間だったなぁ。
クーラン・ヒルベルトは有名な物理学書。
お豆はどうやらこれを輪講したいらしい。
勿論あたしは足手まといになるだけだからパス。
お豆たちが相談してる横でレポート書いてたψ(。。 )
今回のレポートは実験講師が学科長ということもあってかなり面倒臭い(∋_∈)
波動の実験だからあたしの苦手な数Uの三角関数フル活用。
あたしにとっては最早乱用の域に達してる(-"-;)
そんなあたしにゃクーラン・ヒルベルトはまだまだ程遠い。
これだけ有名だと訳されてるからいいけど、原著で読まなきゃならないのもこれからでてくるんだって。
仏語と英語も勉強しなきゃ。
因みに、今日は仏語で酷い目に合わされた(ノ△T)
公開処刑ってきっとあんな気分なんだろーなー(-o-;)
自分のためだよ。
あたしが誰かに力を貸すのも、誰かを助けるのも。
だって、必要とされたらあたしの生きる力になるもの。
あたし自身に自信がちょっとだけ持てるもの。
人間はそうやって心を支え合ってると思うの。
あたしたちはどうしたって考えてしまう。
“何のため”かを。
存在理由なんて本当はないかもしれないし、真理於いて必要とされてるのかもしれない。
自分が自分である必要について考えるとやっぱりね、一番わかりやすいのは自分を必要としてくれる存在だと思うんだ。
だから、この世には色んな人が必要で、どんな人でも誰かの心を支えてると思うんだ。
それもある種の真理に組み込まれた仕組みなのかも。
でもね、時々目にするの。
自分のために他人の生き方を否定する人。
そういう人こそ自分の存在理由を最も必要としているように思うのに、自分で自分の存在理由を奪っている気がするの。
自分を認めてもらうには自分が認めることができなくちゃ。
あたし自身にも勿論言えることだから、少しでも多く人のイイところを認められる心を持ちたい。