ふと思う…
2004年9月…
あの時、最初から今の病院に行っていれば、状況は変わっていたのかもしれない。
今の病院は初診時に「今まであったことを全て話して下さい」と言った。
何も知らない私は、素直に小さな頃からの話をしただろう。
そして、体に現れた異変を話しただろう。
そして、病院に来るのが送れた理由を話しただろう。
(※具体的には2004年6月に、ぶっ倒れて、体が動かない状態になっていたため病院に行くのが3ヶ月遅れた)
まあ、結果は今と同じ躁鬱病だろうが…
そして今でこそ温和(?)だが、私はあの時、「仕事をしなければ」という強迫観念に突き動かされていた。おそらく、先生にも、そうしたい旨を話しただろう。
まあ却下されるだろうけどね。
そのほかにも私には、数々の強迫観念があった。
それを今の先生なら、どう私に説き伏せてくれただろうか?
私は早く楽になれたのではないのだろうか?
私には、今の先生が合う。
あの頃の私は…たぶん先生と口論することもあったかもしれない。
それだけ私は焦っていた。怒りを感じていた。情けなさを感じていた。そして虚しさを感じていた。
でも、それはそのまま病状として受け入れてもらえた気がする。
今の先生は、そういう度量の大きさを感じるんだ…
私は、あの時、切羽詰まっていた。
死への恐怖が身近にあった。
半分は覚悟していた。諦めていた。
市役所は助けてくれなかった…
生活保護の手続きさえ、させてもらえなかった…
私は覚悟していた…餓死を…
私のメンタルが再び不安定に陥ったのは、同年の2月である。
私は自分の今の病名を知らなかった。知っていたのは、以前かかった病院で言われたことだけだった。
(※2004年9月に精神障害判明)
そして同年5月…私と主人は大喧嘩をしている。
私は働きたかった。
だから病をどうにかしたかった…
主人に病院に行く旨を話した。
主人は怒り狂った。
そして私を「お荷物」だと言った…
その時の私の落胆は酷かった。
それまでも主人が働かない時期はあったけれど、私は、その度に働きに出て…体調を壊すまで働いて…でも主人は、そんな大切なお金を大切だとは思ってくれなかった…
私の努力は、いつも水の泡だった…
でも、そんなことは慣れていた…
だけど信じてはいたんだよ…この人だけは私を都合のいい道具にしないと…
今の病名が分かったのは、2010年11月…
よくまあ、私の貯金は保ったものだ。
主人が何故、その時になってやっと、病院に行くことを許してくれたのかは分からない。
ただ、私の心は崩壊寸前だった…
自殺しても、おかしくはないくらいにね。
それでも、まだ冷静な方だったのかもしれない…
私は社会に殺される…
そう思ってはいたけどね…
まあ、なんにせよ…アレから、けっこう経ったんだなぁ…
私は、まだ生きてる。生きようとしている。
我ながら、自分がこんなにしぶといとは思わなかったね。
2004年に無意識に自殺未遂を繰り返した人間と同一人物とは、到底思えないよ。
でも忘れない。
社会に見殺しにされそうになったこと…
私は、けっして忘れない…
話題:おはようございます。
三度寝か四度寝かも忘れちゃったけど、とりあえず、やっと、ちゃんと覚醒しました〜
(゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ
しかし、起きたところで、する事がないんだよね〜
いや、あるにはあるが、やる気が起きないが正確かな。
別に暗くはなってないけど、布団から出るのがダルいわ。
あ〜もう一度、眠気こないかな〜
寝て過ごしてる方が『しなくちゃ!』という強迫観念に悩まされずに済むんだけどね〜
(↓≧ο≦)
追記にコメレスあり