少しホラー?注意
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どこが前で後ろなのか。
古びた鳥居が幾つも連なる、不思議な不思議な場所。
枢木の家は、一歩整えられている所から足を踏み出すと、別の世界へと変わる。
「ここは、どこなんだろう」
スザクに案内してもらえば良かっただろうか。
子供が独りでうろつくには、裏の森は広過ぎた。
太陽は明らかに頂点まで登り終え、どんどん高度を下げつつある。
―ねぇねぇ。
「!?」
そんな時、声が聞こえた。
慌てて振り返ったけれど、誰もいない。
「…」
心臓が煩く拍動するのを無視しながら耳を澄ませれば、しかし聞こえるのは葉が擦れる音ばかり。
そう、誰もここには居ないはずだ。
ナナリーは森の外で待ってるのだから。
スザクも違う。
彼はこんな風に声をかけたりはしない。
その前に、今日は『ケイコ』だと言っていたから、僕達の場所に来るとしても夕方過ぎになるはずだ。
それなら、この声は誰。
周りを見回しても緑と茶色ばかり。
人はおろか、気配さえもしないのに。
―ねぇ、恥ずかしがらないで顔を見せて。
怖がらないでこっちにおいで。
それは知らない声。
若い、とはいっても僕達よりは上の、でも大人とは違う声。
「…」
不思議なものには応えてはいけないと、昔々母から聞かされた事がある。
応えたら最後、取り込まれてしまうのだと表現たっぷりに教えられた。
だから僕は、両手を胸の前でぎゅっと握りながら辺りを見回す。
誰の声、誰が呼んでいるの。
―視えないのは怖いかな。
それならば手を差し出してあげよう。
ほら、怖くないでしょう。
ぽんと、突然肩に掛かる重み。
上を見上げれば、森の色とは違う翠がこちらを見下ろしていた。
それはどこか、スザクに似ている深い色。
―ねぇ、怖くないでしょう。
あぁ、やっと君の顔が見えた。
スザク程は焼けてないけれど、日本人特有の少し焦げたバター色の肌。
くるくるとした茶色の髪は、とても柔らかそう。
スザクによく似たスザクではない人がそこにいた。
「…」
穏やかに笑う人は、僕の肩にかけていた手をどかして頭を撫でた。
まるで母さんの様に優しく、優しく撫ぜた。
それでも目の前に居る男が怖くなくなったわけではない。
どこから現れた、どこの人間だ。
考えれば考えるほど恐怖が僕の体を強張らせる。
―あれ?
まだ、やっぱり怖いかな。
僕は『今の君』に危害を加えたりはしないよ。
大丈夫、守りはしても、君を怖がらせるような事はしないから。
目をパチクリと瞬かせてから、男は小さく笑った。
まるで僕の何もかもを知っている様な態度が、僕を更に怖がらせてる事には気付かないで。
多分、男の輪郭が淡く発光しているのがいけないのだ。
子供の僕でも分かる、この男は、この世ではない者。
―まぁ、今日の所はいっか。
おいで、外まで連れて行ってあげよう。
帰り道が分からなくなったのでしょう?ここは少し普通と異なる場所だから。
頭から手が離れたかと思えば、今度は手を握られた。
感触はするのに、暖かいとか冷たいとか良く分からない、ぼんやりとした温度。
死人なのか妖精なのか、僕には量りかねた。
―ほら、太陽が落ちてしまうよ。
そうしたらここは危ないから、早く行こう。
『僕』でもきっと、夜の時間帯はここには入れないだろうから。
《ルルーシュ》、歩いて。
「!」
何故自分の名を知っている。
問いたかったけれど、それで応えて目の前の男に食べられてしまったりしては困るから、僕は何とか驚く声を空いている手で口を抑える事で飲み込んだ。
何だ、何者だ、分からない、意味が分からない。
―知っているよ、君の何もかもを。
これからの先、未来がどうなるのかさえも。
まるで歌うかの様に言う男の顔は見えない。
声だけはとても楽しげで、どこか懐かしんでいるようだった。
子供の僕に合わせて歩いてくれる配慮はありがたく思ったけど、やはり彼の事は恐怖でしかなかった。
日本では確かそう、『鬼』というのだったか。
―君がもし、僕の手を取ってくれるのならその未来を壊してあげる。
さぁ、出口に着いたよ。
どうするかい?
目の前の鬼がやっとこちらを振り向いた。
相変わらず薄ら寒い笑顔を浮かべながら、翠の瞳でじっと見つめてくる。
「…」
今まで彷徨っていた森と僕達が本来いる場所。
薄暗い闇の中と光が差し込む空の美しい外。
それは考えなくてもどちらが良いかは明白で、分かっているのにこの手を離すのは何故か惜しかった。
―さぁ、選んで。
男は、選んでと言いながら僕の手を握る力を少しだけ強くした。
まるで離れないでと言いたげに。
子供の僕相手に、縋る様な色の目をしていた。
鬼に魅入られたわけではないけれど、そのままにしておくのは可哀想な気がしてしまう。
だって、余りにこの男はスザクに似ていて。
―《ルルーシュ》、君は「おーい、ルルーシュ!」
聞こえた声にはっとそちらの方を向いて、一歩踏み出したら。
あれほど暗かった緑は、どこかに消えてしまった。
ちょうど森との境に居たはずなのに、枢木神社の境内の前に何故か僕は立っている。
「ルルーシュ!!」
それはとても必死な声。
何故そんな焦る必要があるのだろう。
「…それよりも」
後ろを振り向いて見えるのは、枢木神社の本殿。
さっきまで僕の手を握っていたあの男は跡形もなく消えていた。
「何を、言おうとしていたんだろう」
最後に一瞬視界の端に映った顔は残念そうな、でもどこか納得していた顔をしていた。
―君はやっぱり、そうだよね。
ふと顔を撫ぜる風が吹いて来て、その中に声が混ざっていた気がしていたけど、何を言っているのかは聞こえない。
本当に、ただ不思議としか言いようがない。
「ルルーシュ!そんなとこにいたのか!」
「あ、スザク…」
珍しく息を切らせて現れたのはさっきから聞こえた声の主、枢木首相の息子、スザクだった。
彼はいつも威張っていて、寂しさを見せない様虚勢を張っているから仔犬見たいだけれど。
静かに笑う事を覚えれば彼に良くに似ている気がした。
幻の様な、不思議なあの鬼に。
彼は、一体僕を捕らえたらどうするつもりだったのだろうか。
「ルルーシュ?」
「いや、もしかしたら悪い事はされないかもって思っただけだ」
「へ?」
「…君に似た、頭の悪そうな鬼に会ったんだよ」
「はぁっ!?」
嘘、それはとてもとても、狡猾そうな鬼だった。
悪い人ではないだろう、だがだからといって良い人でもない。
そういう種類のものだろう、恐らく。
「ルルーシュ、鬼ってどういう事だ!?」
「君には関係ないよ。あ、そろそろ夕食を作らないと」
「おい!ちゃんと話せよ、ルルーシュ!」
話すわけがないだろう、君のお陰でこちらに戻ってこれたなんて言えないから。
怖くて仕方がなかったけれど、今思えばあの翠の瞳の奥深くに感じたのは自分と同じ、孤独だった。
独りは怖い、それはよく知っている。
僕だからこそ、知っている。
だけど、君の手を僕はとらない。
僕にはまずナナリーが居て、それに目の前の彼とも手を繋がなくちゃいけないから。
残念だけど、あの鬼と繋ぐ手はもう残っていない。
「ごめん」
誰にも聞こえない様に、彼にだけ聞こえる様に僕は一言だけ返す。
きっと彼には聞こえないだろうけど、それでもせめての誠意だ。
森の外に出れたのは、少なくともあの寂しそうな鬼のお陰だから。
―良いよ、分かってるよ。
《ルルーシュ》は、いつだって《ルルーシュ》だからね。
また吹いてきた風は、やっぱりどこか彼に似ていた。
「ルルーシュ?」
「ううん、行こう」
帰れと促す様に吹いてくる追い風を受け、僕達は石畳を歩いた。
あの不思議な彼が、大きくなってから見た『彼』とそっくりだったのは後の話。
子供の時は視えた不思議が、大人になるといつの間にか消えていくという謎。
それは大人になった証なのか、大人になってしまった代償なのか。
知っている人はきっと誰もいない。