線香を絶やさぬようにと聞いたのは誰からだったか。母の葬儀の時だったか。
ともかく、私のやる仕事とはそのようなことだった。
そして実際に同居をしていた人間としてやってきたお客様への対応をする。これは他の親戚よりは少しはそれらしいそぶりができたと思う。何せ一緒に住んでいたほどだ。相手私の顔を覚えていた。
友人が多い祖母だったか高齢もあってすぐに対応できる人は少なかった。両手を使うほどでもなかったように思う。

祖母はいまだに眠っているようだった。ひんやりした頬もそれが冬の寒い外から帰ってきて冷えてるような、そんなイメージでしかなかった。
はて死人とは蝋化するものではなかっただろうか。こんなにも変わらぬのなら、ひょいと起きあがったりはしないだろうか。
しないのだろうなぁ。

施設から引き揚げた祖母の遺品は大半がそのまま廃棄に回される。そりゃそうだ。服やら下着やらはもうどう考えても着る人が居ない。
祖母は直前は物も握れないほどだった。最初は絵や文字を書いて過ごすつもりだったのだろう。引き上げた荷物の中にはそれらも入っていた。最初の数行に文字は並ぶが、それ以降は読めもしない線だった。祖母もわかっていたのだろう。
ほぼ使われなかったまま残されていた。
施設にもっていったものよりも家に残されていたものを棺の中に一緒に入れることになった。数に制限があるので入れられたのはそう多くない。

まぁどうせ無駄だろうと思って持ってきたゼリーをお供えした。横から見たらただの謎の液体が詰まった袋だ。何を作って持ってきてるんだか。

祖母は昼下がりに業者の人がやってきて葬儀場へ持っていかれた。シーツにくるまれる姿を見ると確かにそれは遺体なんだろうと思う。うまくできたシーツだった。母親で見て覚えていたように遺体は曲がることもなくほぼまっすぐ泣いたみたいになって運ばれて行った。
やっぱり起きあがったりしねぇんだろうな。

出て行ったあと、残ったゼリーを自分で食べた。ちょっと固めのゼリーは完全に自分の趣味だ。この状態を祖母に渡しても食べれないことは承知の上で適当に作ったものだ。家のものの大半は祖母にくっついて葬儀場で説明を受けたり準備をするそうだ。自分は万が一、祖母を訪ねてきた人が居た場合の対応のために残ってる。
伯父と叔母は葬儀場で寝泊まりをするらしい。父と実弟が葬儀場から戻ってくる。
いとこも仕事終わりに来て明日の本葬に出席するらしい。一緒になって晩御飯を食べて祖母の家で一泊した。


夜はいとこと一緒に軽く酒を飲んだりもした。伯父と叔母とこのいとこはうちの家とは違い、割とコミュ力が高い。