後学のために実はいろいろ葬儀に関してくっついて観察してた。



まずは死亡届。それから火葬の許可。これは医療施設に入っていればそっちが手続きをしてくれる。
この書類がないと後々の手続きに大いに困ることになるので、必ず手元に数枚、コピーを取って残しておかなければいけない。
死亡してから火葬に回すまでは指定された日数以内に行う必要がある。
最近は葬儀に2週間かかることも珍しくないらしく、今回みたいに三日で葬儀にこぎつけるのは頑張った方らしい。
そういや、父方の祖父は葬儀まで一週間かかったんだったか。母親は翌日が通夜でその翌日に普通に葬儀に回った記憶がある。

死亡届の後は当然葬儀の話をしていく。同時進行で公的な部分での手続きもスタートされる。
公的なものでいうと健康保険、年金、確定申告の変更などの税務署関係があげられる。特に年金は死亡後に受給があるかないかで手続きが変わるので、電話でいいから一回連絡を入れとかないと後でめっちゃめんどくさい。
今回は年の暮れということもあって、役所が何と28日に閉まる。公的手続きは死亡後7日以内と14日以内の2種類に分けられるので「どう考えても無理!!」ってなったらこれも同じく役所に行って確認を取るか延長手続きをしないといけない。
何も履歴がない状態で遅れると最悪ペナルティが発生する。覚えておかねば。メモメモ…。
後は民間系。これは端的に保険。持ってれば株式。これは二カ月程度の猶予が与えられるのでほっといていいけど後から出てくる書類が要るので今動けない、みたいなものもある。

葬儀は基本パックが20万程度からスタートする。医療機関だと死亡後のケアや死亡診断書などを書いてもらうのでこの時点で料金が積みあがる。祖母は施設から家に帰ってくるまでにすでに30万程度かかっていて、これが入居先の高齢者医療施設が「建て替えた」という形になって請求書が飛んでくる。
高齢者医療施設には大体懇意にしてる業者があるので葬儀はそこに頼むのが楽だ。
葬儀の費用はいろいろあって、基本額スタートしてもあれやこれやと聞かれるのに答えるといつの間にか値段が三倍四倍になるのもおかしくない。

まずは棺桶、それにかかわる備品一式。家に一度運び込むなら台や御鈴・帰ってきたときの遺影とかを立てる三脚を含めた諸々のセット。
会場費、控室を使うならその値段、供花。供花は棺に投げ入れることもあるからそれなりのものを勧められることもある。そんで家に持って帰る用の供花。骨壺の隣が何もないのも寂しいので勧められる。
精進落しをするなら仕出しの値段、さらに会場の費用、葬儀場から火葬場に移動する場合はバスをチャーターするだろうからそのレンタル代。
火葬場に行けば荼毘にふす基本料金に『どの窯で焼くのか』によってお値段もどんどん上がっていく。
うちの場合は諸般事情があって無理やり28日に葬儀を詰め込んだこともあって特急料金代わりのグレードアップ代がかかってる。グレードアップするのに6万円かかるんだが、実際やってみると確かに納得の+6万円。

焼きあがってからもどんどんお金が吹き飛んでいく。納骨のために使うもろもろのグッズ代、焼き上がりを待つまでの控室のお値段にそれに提供される飲み物代。
お骨を貰ったら葬儀場に戻って精進落とし。これは普通なら火を開けて行う行事なんだけど最近は葬式と一緒くたになる。この時点でお経をあげてくれたお坊さんはいなくなるので、お坊さんに包む御礼のお金も必要だ。
精進お年で提供されるドリンクも当然費用に入ってくる。
最後、出席してくれた人に返礼として渡す香典返しの値段。これが確定することでやっとお会計に移れる。

合計しておおよそ百万!

母親の値段は覚えていないが、祖父のお値段は大体この値段だったらしい。会場やら規模やらはまるで違うからそこらへんが手配する腕の差、だったりするんだろう。そういえば祖父に関しては勤め上げた会社の力がすごく、手配は全部そっちでやってくれたそうだ。いい感じに調節してくれたんだろう。とはいえ各種色んな所から請求書が飛んでくるので全体像が把握しづらく面倒だったらしい。
今回は1社が全部を手配したので支払いの書面は一枚だけだ。やべー金額にちょっと笑ってしまう。
自分が死んだときにも最低これぐらいは残しておかないと。
そしてこの領収書も明細も必要な書類だ。原本をなくしてしまうと後が大変。この書類があると保険会社から保険料が下りたり、市町村から葬儀代の補助が出たりする。
そういう意味では葬儀会社とは必要な会社だったりするんだ。

後は自分たちが帰れば終わりだ。本当はこの後、お坊さん関係でいろいろかかる。法名をつけてもらうにも値段がかかり、卒塔婆、三回忌までの法要を書いた枠…って言うのか何だあれの名前。読経の値段もかかるぞ。技能職だからな。
うちは幸いにもお坊さんは親族が勤めてくれる。祖母の実家が寺で、何なら祖母は死後実家に里帰りするような形で墓に入る。そういう点かなり融通が利いたのだ。そ
もそも今回の葬式だって1日で全部終わらせるために通夜の読経から始まり初七日の読経まで45分でしてくれた。話を持ち掛けたときに「いやその時間はさすがにお経が読めない。もう10分くれ。」とか交渉があったり、読経中に焼香を一人2回もした。なんてあわただしい葬式だ。
途中で坊さんが「えーっと、今の焼香どこの焼香? 本葬? 初七日? 初七日ねオッケー続けて。」って振り返って聞いてくるんだぞ。


こんがり焼かれた祖母はビュッフェで使う料理台っぽいのに移されてガサガサ箸とスコップでつつかれる。そんな中二人一組で骨を持ち上げ骨壺に収めて、あとはスコップでザーッと壺に突っ込む。
なぁんでガサガサしてるんだろうって思ったらどうやら棺桶の釘も一緒に入ってるらしくその選別をしてたらしい。手つきが料理人がパスタをソースにからめるそれなんだよなァ。あとはエビの殻をつぶして出汁を取るときの動作。

祖母は高温でサッと火を通されたので骨は火力のこともあり、棺のサイズに敷かれた耐火煉瓦の中央部に骨やら何かの燃え残りやらと一緒になって集まってた。
母の時は古い窯でじっくり火を通されたこともあって姿かたちがほぼそのままの形で残っていた。頭蓋骨をたたき割ったのは職員の人だったし、大腿骨や足の長い骨、指の骨の位置まではっきり分かった。
骨を見ながら「あー、結構この骨大きいのね」って親族間で雑談をするのだ。いつまでも骨をまさぐっていた記憶がある。思い返せば母方のじいちゃんもばあちゃんもそうだっただろう。

ばーちゃんは全部がサッと収められてるのでどれがどの骨なんかわかりはしなかったんだが、歴戦の職員はパッと見るだけでどの骨かわかるらしく、喉仏(第二頸椎)と顎、両方耳の骨、頭頂部の骨をきれいに拾い上げ仕上げに収めてくれる。
祖母は人工関節を入れていたので、耐火煉瓦の上から料理台っぽいのに移されるときに回収され、別個で供養に回されるらしい。そういえばどこの市町村だったか忘れたけれど葬儀場から出てきた廃棄物に交じる歯科治療を含めたものの特殊金属を買い取り、リサイクルに回してお金に変えるって話があったはずだ。意外と残るものらしい。人工関節も棺の釘も変色はあれどきれいにしっかり形が残っていた。歯の詰め物も同じようなもんだろう。

骨壺は箱に詰められ、その時に埋葬許可書も一緒にもらう。これを使うのは四十九日の納骨の時なのでもうしばらく先の話だ。紛失しないように一緒に収めておくそうだ。
白い布で箱をきれいに包んだら、よく見る真っ白いカバーを”上から”かぶせられて手渡される。あのカバーは底がない。ハァそうだったのかとちょっと感心した。おかしい。少なくとも3人分の荼毘は見てたはずなんだが。


家に戻った祖母をイイ感じに配置して線香をあげれば葬式は終わりだ。
後始末はもらったこれまでに香典をデータ化・実際にいただいたお金と名簿に直して父親に提出して終わりだ。
二回も見たのに帳尻がわからなくて弟も借り出してチェックしてもらった。名前が古い人が多くて「…これなんて読むんだ…。」って人が多かった。顔は分かれど名前がわからぬ。じいちゃんの名前って読みやすかったんだな。
あと達筆が過ぎて何もわからん。これはナニ市?


晩飯はピザだった。寝て起きてが多かったのでまるで覚えてない。