図書館司書の仕事であるレファレンスサービス。担当者目線で起こった、ある図書館の短編集。
ちなみにレファレンスとは、勉強の為の資料探しに協力を惜しまない、言わば図書館の膨大な資料を使った生き字引みたいなもの。
『おさがしの本は』
著者 門井慶喜
発行者 株式会社光文社
ISBN 978-4-337-92668-7
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
「図書館ではお静かに」
大学の近所にある図書館には、レポート提出時期によく学生が図書館にやってくる。教授の一人に森鴎外をこよなく愛する人がいるらしく、レポートのテーマはいつも森鴎外が書いた作品に関するものであるらしく、レファレンス担当数年目の和久山は、今回も森鴎外の名前を読み間違えている為に希望する図書にありつけず困っている学生を相手する。
森鴎外ではなく本名の森 林太郎でレポート課題を出してくる辺りで森鴎外を敬愛しているのはゆうに分かる和久山は、今年もレポート提出ギリギリになり図書館に駆け込んできた学生に森林太郎は森鴎外の事だと教え、課題の読み解きの世話まで焼いてしまう。
友人にも教えなければと図書館を飛び出した学生を待てど暮らせど、いつまでたっても図書を借りに来る気配もないので電話をしてみると、なんと森鴎外の本名だと教えた課題が実は森林太郎ではなく林森太郎の書いたものだったというのだ。
図書館には林森太郎の著作は一つも蔵書としておらず、彼女に直接役には立たなかったけれども、彼女に森林太郎の移し間違いではないのかと問い、一緒に考えたのは無駄ではなく、彼女は一字一句の大切さをレポートに書き入れたらしい。相変わらず図書館でも煩い学生だったが、レファレンス担当の和久山をお兄さんと呼び、親しみを込められた事に気持ちが穏やかになっていくのだった。
「赤い富士山」
潰れた公民館にある図書館の分館とは名ばかりの児童図書室の本を、取り壊しになる前に全て本館へ運び出すという仕事を引き受けた和久山は、赤い富士山の表紙の本を小さい頃に図書室へ持ってきて忘れていったという老人・鳥沢に出会う。
探したいという鳥沢の意向を知り、和久山はレファレンスの一環としてその本探しを引き受ける。
後日、同じ図書館勤務の藤崎沙理に聞くと簡単ではないかと言う。「…どう考えても北斎じゃありませんか」しかし、それは和久山もその場で考えた事だったのだ。浮世絵ではなく写真だったという鳥沢の答えを聞くと「自然現象として富士が赤色に染まる現象なんてあるわけない」という藤崎に、確かに早朝、太陽の光を受けるとそうなるらしいという和久山。その言葉を受け、児童書担当の藤崎はそれを探してみるというのだ。
探しだした物は赤富士ではなく東京タワーで、二人は鳥沢の思い出を蘇らせる事に成功した。
「図書館滅ぶべし」悲しいかな図書館長や副館長は天下り先の一つであり、今回新しく副館長になった市長秘書室から来た男は、図書館は不要ではないかと言い出し、和久山は喧嘩をうってしまう。そこでレファレンスを一市民として相談された和久山は、嫌がらせに他ならないヒントから図書を探すというレファレンスを引き受けた。
日頃から図書館を利用する私にとっては副館長に腹が立って仕方なかったのでちょっとすっきり。笑
それにしても、“人間の子供が最初に発する音によってのみ構成される”言葉=アンパンマンだなんて、この本に出会わなければきっと知ることも無かった。本を読むと得られる知識は果てしなくて、本当に本っていいなと思える瞬間でした。
「ハヤカワの本」
つい先日亡くなったのだという旦那さんが借りたままになっている本がどれだか分からないとレファレンスカウンターにやってきたお婆さんが、その本について知っている事は、おじいさんが亡くなる前に言っていた「ハヤカワの本」という情報と、20冊ほど借りているのだという事だけであった。しかし、ここ三十年内の貸出し記録を調べても、おじいさんの名前は出てこない。盗難かとも疑ったが、ともかくその少ない手掛かりで和久山はおじいさんが借りたままになっている本が何かを調べる事となったのだ。
大学の司書課程を取っている学生と共に調べるうちに副館長(昇進したので今は館長)の助言もあり、早川図書は出版社ではなく人名だと気が付いた和久山は、おじいさんの借りていた本を突き止める。そしてそれをきっかけに、和久山は図書館存続のため、お婆さんの息子である市議会議員から演説をしてくれないかと頼まれるのであった。
「最後の仕事」
市議会で館長と和久山の演説を聞き、図書館の存続を決議する事になっていると市議会議員から聞かされた和久山は、当初自分が考えていたような在り来たりな演説では失笑を買うだけだと言われてしまう。一方で、市議会議員から題名も作者も分からない小説を探してほしいと依頼を受けた和久山は、レファレンス業務で小説を探すことが一番難しいのだと正直に告げる。
「作者がどんな風に思考やイメージを展開するか論理的に予測できないし、むしろその予測できない所で読者を引き付ける性質がありますから。とりわけ本文の一部に就いて作品全体を引っ張り出せというのは、例えて言うなら、片方の耳朶の形から顔全体を再現しろというようなもの。まず無理だ。とんでもない偶然でも起こらないかぎり」
レファレンス業務について知識はあるものの、こうして実際に作業に従事している人から話を聞けるというのはとんでもない贅沢で、小説といえど司書課程と取っている学生は泣いて喜ぶ現場の生の声なんじゃないかなと思いました。
持ち越しと言う名の勝利を手にする和久山は、それすら仕組まれた根回しの一つであると館長から聞かされる。「君も満更知らんでもあるまい。大人の世界で本質的な解決を得るのは、宝くじで三億円当てるよりも難しい。当面の解決が即ち解決だ」
「書物の世界はあまりに広い。あまりに豊かだ。どんなに有能な図書館員でも、あらゆる相談を綺麗に解決するなんて不可能だ」
「レファレンスカウンターは調査を助けるだけの存在です。調査そのものは相談者自身がしなければならない。それと同様、書物というのは、ただ人間を助けるだけの存在なのです。最終的な問題の解決はあくまでも人間自身が行わなければならない」
館長の話を聞いてやってきた市長にそう話した和久山は、図書館から市政を扱うポストに移動になった。それにともない、和久山の後を恐らく継ぐのであろう藤崎に色紙を貰った和久山は、レファレンスカウンターにいつ和久山が来ても答えられる様にしておくという心強い言葉を胸に、次に私用で会う約束をするのだった。
人間はあの人が悪い人で、この人はいい人なんて分けられない。だけどそんな曖昧な世界で生きていかなければならない。そんな中、目の前の事にただがむしゃらになる。だけど、決して自分の信念は曲げてはならない。司書を目指す人じゃなくても読んでほしい本だと思いました。ちょっとトントン拍子にいきすぎだけど、最初の話で森林太郎に笑って思わず借りた本にしては、思いがけず当たりでした。