長坂弥生は、夫の義母が痴呆で入院した後、義母が可愛がって飼っていた猫・ぎんなんちゃんを捨ててしまったという夫の発言にゾッとしていた。
結婚当初なら、夫がそんなことをする訳がないと手放しで信じられたのに、今はそれが出来ない弥生。
夫とギクシャクしたまま、弥生は数十年前の学生時代にホームスティした先の娘・アマンダを4日間泊めてくれないかと母のケイトに頼まれ、快諾した。
約束の日、空港でアマンダを待っていた弥生の前に現れたのは、彼氏と一緒に仲良く出てきたアマンダだった。
既にホテルを取ってあり、アマンダと彼氏はそこに泊まる。ケイトには自分から連絡するという。
「わかるでしょ?」
思わず笑ってしまった弥生は、若かった昔の“でたらめばかりを信じる17歳だった”自分を思い出し、快諾した。
“野心。それこそが前へ前へ進む原動力なのだし、それを恥じる必要がどこにあるのだろう。”
何処かで泣く準備はずっと前からしていたのに、号泣することが出来なかった。
そんな女性たちの等身大の姿を描いた、号泣にまつわる短編集?
『号泣する準備はできていた』
著者
江國香織
発行者 株式会社新潮社
ISBN 4-10-380806-3
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
もうじき離婚する事を隠したまま、夫の両親に会いに行った夫婦。
「知ってた?私達、一緒に暮らしてはいても、全然別の物語を生きてるのよ、知ってた?」泣きながら言う妻。
「私は浮気なんかしていない。したこともない。でも、あなたと別れたいと思っている。それって、浮気しているよりひどいわよね」
離婚という人生の節目に立った妻のセリフは重く、夫婦生活の寂しさやもの悲しさをも感じた。
青一色の電飾が付いたクリスマスツリーを二人で買う夢を見たという隆志。
大学を中退してから、いつもバイトで貯めたお金を使い旅をしながら暮らし、帰りたくなったら実家に帰るという生活をもう10年もしてきた文乃。
“私の旅はいつもそんな風だった。自分で土地を選び、お金を貯め、一人で旅をしておきながら、あっさり打ちのめされる。寒さや暑さにうんざりし、孤独を苦痛に思い、こんな場所には二度と来ないぞ、と思う。それでいて、日本に帰っていくらもたたないうちに、私はまた旅に出たくなり、土地を選びお金を貯め、身の回りの物だけを持って家を飛び出してしまうのだった。”
隆志という大好きな人と出会い、一緒に帰国したが、隆志は浮気をした。正直に打ち明けてくれた隆志に「知っているわ」と答えた文乃。
“私の心臓はあの時、一部分はっきり死んだと思う。寂しさのあまりねじ切れて。”
号泣する準備はできていた。
でも、文乃は泣かない。強くありたいから。それが私だから。
あとがきより
“人々が物事に対処するその仕方は、常にこの世で初めてであり一度きりであるために、ビックリするほどシリアスで劇的です。
たとえば悲しみを通過する時、それがどんなに不意打ちの悲しみであろうと、その人には、多分、号泣する準備はできていた。
喪失する為には所有が必要で、少なくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持が必要です。
そして、それは確かにそこにあったのだと思う。
かつてあったモノ達と、その後もあり続けなければならないモノ達の、短編集”
作品中に出てくる女性たちは強く、そしてもろいけれど、今を必死に生きようとしている、勢いのある女性たちでした。
涙をこらえるのは大変だからこそ、あえて涙をこらえている彼女たちの強さは、素直にすごいなと思いました。