「おともだちパンチ」とは、親指を残り四本の指で包み握った拳の事である。
四本の指を親指で押さえる拳に比べ、おともだちパンチはまるで招き猫のような愛らしさを湛えるので、満腔の憎しみを拳に込める事が出来よう筈もなく、かくして暴力の連鎖は未然に防がれ、世界に調和がもたらされ、我々は今少しだけ美しきものを保ち得る…らしい。
『四畳半神話大系』や『走れメロス』で出てきた人達が、面白おかしく物語を引っ張って…というより全力で引き摺り回される感じです。笑
『夜は短し歩けよ乙女』
著者
森見登美彦
発行者 株式会社角川書店
ISBN 4-04-873744-9
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
彼女に姉がおともだちパンチを伝授する際「女たるもの、のべつまくなし鉄拳を振るってはいけません。けれどもこの広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿保か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿保です。ですから、振るいたくない鉄拳を敢えて振るわねばならぬ時もある。
そんな時は私の教えたおともだちパンチをお使いなさい。堅く握った拳には愛がないけれども、おともだちパンチには愛がある。愛に満ちたおともだちパンチを駆使して、優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開けるのです」と言い、それ故彼女は「おともだちパンチ」という奥の手を持つ。
大学のOBの先輩が主役の結婚式に呼ばれた彼女は、二次会へ向かう波を避け、一人で酒を呑みに行く。彼女は披露宴で出された蝸牛の殻を眺めている内にお酒を呑みたくなったのだが、先輩達の手前十分にそれが出来ずに居たからである。
同じ結婚式に出席し、かねてから彼女に好意を寄せる男は彼女を追いかけるが、路地裏へ曲がったところで見失ってしまった。
“御財布への信頼に一抹の翳りある”彼女が一人でカクテルを呑んでいると、中年の殿方・東堂が悩みでもあるのかと検討違いに話しかけてくる。悩みがあるのはむしろ藤堂の方で、彼女に錦鯉を育てる仕事をしている自分の苦労話を聞かせる。
竜巻に飲み込まれた錦鯉のお陰で不景気だと嘆く東堂に誘われ「偽電気ブラン」なるカクテルの飲める店へ移動する。
「若人よ、自分にとっての幸せとは何か、それを問う事こそが前向きな悩み方だ。そしてそれを常に問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる」
東堂は彼女にお守りと称し、紅く塗られた小さな木彫りの彫刻をくれた。
やがて酔いが回ったと嘘かホントか解りかねる申告をした東堂は、彼女にセクハラを働き拒んでいると、勇ましい女性・羽貫さんが助けてくれる。逃げていく際に藤堂が大事そうに抱えていた風呂敷包が解け、中から沢山の古い春画が出てきた。お守りとしてくれたものと同じ絵が描かれているのを見て、彼女は呆然とする。東堂に同情した彼女に羽貫さんは「人生論なんか、ちょっと年食ったオヤジなら誰だって言える」と一刀両断する。
彼女を助けてくれた羽貫さんと、その連れの樋口師匠と知り合い意気投合した彼女は、そのまま二人についていく。連れていかれたのは大学の文化系サークル「詭弁部」のOBを交えた送別会という名の飲み会だった。東堂も言っていた偽電気ブランの広め親・李白さんの事や、彼女が先程まで出席していた結婚式の新婦にフラれた先輩が傷心のあまり泥酔し、そのまま外国へ行くのだと言う話を聞きながら、彼女達はタダ酒を煽る。見知らぬ飲み会に訳知り顔で潜り込みタダ酒を喰らい、よき頃で出ていくという羽貫の技に感心する彼女。
その頃東堂と出会った彼女に惚れている男は、何故か二人で酒を呑みに行く。
還暦のお祝いをしている人達の飲み会に紛れ込んだ彼女達は、そこで東堂達とまたしても出会う。やけになった東堂が持ってきた春画を破り出し、止めたら飛び降りて死ぬ等と訳のわからぬ騒ぎになり、彼女は東堂の為に東堂が金を借りている李白と呑み比べをし、勝って借金をチャラにしてもらう。
喜んだ東堂は空に向かって錦鯉達の名前を呼ぶと、空から錦鯉が降ってきたではないか。歓び彼女に抱きいたまま接吻しようとしてきた東堂。
“破廉恥な。
私はここで尊敬する姉の言葉を忠実に守るべきだと考えました。従って私は愛に満ちたおともだちパンチをふるい、東堂さんを古池に叩き込んだのであります”
酔い潰れた者を送り、彼女は今夜の出来事を振り返る。
“そもそも自分が何故このような夜の旅路に出たのか、その時の私には最早解りませんでした。それと言うのも中々オモシロく、学ぶところの多い夜だったからでありましょう。それとも私は何か学んだ気になっているだけなのかしらん。けれどもそんな事はもうどうでもよいのです。
ひよこ豆のように小さき私は、とにかく前を向いて、美しく調和のある人生を目指して歩いてゆくのであります”
彼女は我が身を守るおまじないの様に、李白が言った言葉を呟いた。
「夜は短し、歩けよ乙女。」
夏、彼女が古本市に行くと聞き付けた男は、自分も参加しようと決める。
古本市で樋口と会った彼女は、子供の頃に読んだ絵本をもう一度読みたいと考え、その絵本を古本市で探す。
彼女が絵本を探していると、古本の神だと名乗る少年から聞いた男は、李白が彼女の絵本を持っている事を知り、李白が開催する我慢くらべに出場し、勝ったら一つだけ好きな本を持っていっていいと言われるがまま、辛さに身体が麻痺する程の鍋を数人でつつく。
樋口と男だけになったところで現れた古本の神が、李白から古本を取り上げ、古本市に還元したのだった。かくして、彼女は古本市で絵本を手に出来たのだ。
大学の学園祭に初めて参加する彼女は、そこで樋口の主催する韋駄天コタツやパンツ総番長、象の尻を展示する彼女、飲み比べをする羽貫さんと出会いつつ、学園祭を満喫する。
詭弁論部主催のごはん派かパン派かの論争に巻き込まれ、「ビスコを食べれば良いのです」と一石投じたり、演劇集団によりプリンセスダルマの代役を引き受けたり、彼女はくじで当てた大きな緋鯉のぬいぐるみを背負いながら歩いているので、必然的に目立ち、男はその目撃情報を頼りに彼女を探す。
劇の最終幕に間に合った男は、無理矢理彼女の相手役になる。
李白に風邪の神様が取り付き、彼女の周りは皆、風邪でダウンした。
彼女は古本の神から風邪薬で効かぬ風邪に効く飴をもらい、李白のお見舞いに行く。そして李白の身体から風邪の神を追い出すと、李白の咳で出来た竜巻に巻き込まれ、竜巻の中で男と出会うのであった。
李白の快気祝いの招待状が届いた二人は、その前にデートをするのだった。
古本の神が言っていた本を繋げるのが、感動しました。それだけでも、この本を読んだ甲斐があった。“シャーロック・ホームズの著者はSFと言うべき『失わせた世界』を書いたが、それはフランスの作家ジュール・ベルヌの影響を受け、ベルヌが『アドリア海の復讐』を書いたのはアレクサンドル・デュマを尊敬していたからだ。
デュマね『モンテ・クリスト伯』を日本で翻案したのが黒岩涙香。彼は『明治バベルの塔』に作中人物として登場する。
その小説の作者山田風太郎が『戦中派闇市日記』の中で愚作と述べた小説が『鬼火』で、それを書いたのが横溝正史。
彼は雑誌編集者で、彼と組んでいたのが『アンドロギュノスの商』の渡部温。彼は仕事で訪れた神戸で事故死し、その追悼をしたのが谷崎潤一郎。
その谷崎を批判したのが芥川龍之介で、その数ヵ月後に自殺する。
その自殺前後の様子を踏まえて書かれたのが『山高帽子』でその文章を賞賛したのが三島由紀夫。
三島が若い頃面と向かって『僕はあなたが嫌いだ』と言った相手が太宰治。太宰は自殺する一年前、追悼文を書き『君は、よくやった』と述べたのが結核で亡くなった織田作之助だ。”
登場人物が皆イキイキとしていて、会った事もないのに、細かく頭の中でイメージできるほどでした。凄く面白かったです。
前に読んだ時は正直、そんなに面白いとは思わなかったんです。それは一章だけが短編集に載っていたせいもありますが、樋口や羽貫さんらを他小説で見かけていなくて、上手くイメージ出来なかったからじゃないかなと思いました。
是非、『四畳半神話大系』や『走れメロス』と合わせて読んでみてほしいです。