丘の上にある古い家は、殺人事件や自殺が過去に起きた場所で、それ故、幽霊屋敷などと近所では言われていた。
その幽霊屋敷に引っ越してきた小説家の彼女は、時たま、幽霊屋敷だと聞き付けたマニアが話を聞かせろと訪ねてきたり、お祓いや幽霊降臨に来られたりと、ロクな目にあわない。
幽霊屋敷を訪ねてきた彼を追い払わず対応する彼女に、彼は彼女の親戚が昔住んでいたと知るなり「何か聞いていないか」と何度も繰り返すばかりか、家の中を勝手に調べて回るのだ。
彼女の忠告を無視した彼は、空もすっかり暗くなった道を帰る途中で事故に遭うのだった。
街で悪餓鬼や愛されていない子供を誘拐しては、自分が仕えている旦那様の為、充分に食事を与え太らせてから料理してしまう女。
アップルパイが焼けるまでじゃがいもの皮を剥きながら殺し合った二人の女。
二階の窓から見える女。
一つ一つ、幽霊が屋敷に住むところから始まる短編集。
『私の家では何も起こらない』
著者
恩田陸
発行者 株式会社メディアファクトリー
ISBN 978-4-8401-3165-0
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
“幽霊に一番似ているのは「思い出」ではないかと思う。
個人的で、主観的で、決して他者と共有出来ない。そのくせ誰もが知っている様な気がする、生暖かくて居心地の良さげな言葉。
けれど、「思い出」が解体していくと幻想の過去が別の顔を見せ、見知らぬ過去が現在を圧倒する。”
考えてみたこともなかったけれど、確かに思い出と幽霊は似ているかも知れないと思いました。人が亡くなった際に、思い出の中に生きているとよく言いますが、生きていてほしいという故人を惜しむ気持ちを持つ側が居るなら、当然、故人だって思い出の中に生きたいと望む人も居るのかもしれません。上手くまとまらないなぁ…。苦笑
“「時として、一人よりも二人の方が孤独を深めるものです。一人ならば気付かぬ不幸を、互いの姿を鏡として、合わせ鏡のように増幅させてしまうことがあるのです」”
考え方が同じでハッとさせられました。何となく、ZARDのマイフレンドが浮かんだり…。
“ここでの時間は連続しているし、幾らでも時間はある。うつらうつらしながら、この丘の上で、過去や未来から、あるいは別の何処かから、誰かが接続してくるのを待ち続ければいい。
彼と彼女達の思い出のために。無数に個人的で主観的な、彼と彼女達の思い出のために。”
恩田陸さんらしい、不思議な話でした。