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更新が減った理由(再投稿)+などなど!


久しぶりの日記。
ここを知ってるリアル友人たちから最近「ブログもう書かないの?」って言われる事が増えて、
そういえば書か(け)なくなった理由の愚痴を長文で書いて去年末に投稿したんだけど即日消したんだよなーと思い出して。

書いた件がちょうど解決した(はず)なので、消しちゃったけどログはあったから理由として残しておこうかなと再投稿。

一度読んだことある人はなんで愚痴を何回も読ませられにゃいかんのじゃって感じになるので、まあ読まずに。めちゃくちゃ長い。ただの記録です。
せっかくだから加筆修正なしに当時の気持ちそのまま。


最後に追記だけ足した。



※以下、
2022年、年末に投稿した
「ブログを更新しなくなった理由」
………………………………………………

世間はクリスマス?
私は混む前にクリスマスぽい所出かけてたのでもうクリスマス気分は終了している笑


久しぶりの日記である。


なんだかこの数年で私のSNSの在り方が大きく変わった気がする。
おそらくコロナ禍やスマホデビューといったものが転機になっているんだけど、特に今年はある悩み事が解決に近づいた大きな分岐点だった。
(クリスマス辺りから年末モードになりなんとなく振り返りたくなる)
そのことについて急に書いておきたくなった。




そもそも、私はブログに記録する事が好きだった。
どこに行って、誰と遊び、なにを食べて、なにを楽しみ、その時どう思ったか…それらを詳細に書いておけば記憶が薄れた数年後でも、日記を読み返しさえすればありありとその日の楽しかった記憶が最近のことのように思い出せるからである。


生活の変化とかで中々ブログが更新出来なくなりつつも、楽しかった記録は常に書きたいなーという気持ちだけは変わらずに持っていた。

しかしある時期にその気持ちに変化が生まれた。

それは、数年前。
同時期に別々のコミュニティの友人達にSNSで「私とは遊んでくれないんだ(ニュアンス)」と空リプされる事が多々あったからである。
もちろん、空リプ…というか、各々自分の愚痴として呟いているだけなので私宛てのコメントでは勿論ない。なので私の被害妄想説がだいぶ強い。
いまだに私は自分の被害妄想だろう!と強く思っているが、あまりにも同時期に複数の人のSNSでそのようなコメントを見たため、「これは私に言ってるんだ…」と激しく病むようになってしまった。

私が共通の友人と出かければあーあ、と言われたり、一緒に行くのを約束していないライブに友人と行ったと書けばその直後にライブ行きたかったなと言われたり、私は友人いない、どうせミュートされてる……etc
そんなツイートを沢山目にした。
(そもそもフォロワーをミュートしないし、しかも何度も遊んだ事がある友人をしないでしょ普通)(って悩みすぎて第三者に相談したら普段から自分がミュートするからそう言うんじゃない?と言われ納得)

気のせい、被害妄想である、私が気にしすぎてるだけ、と答えのわからない問答を自分で繰り返しながらも、私はSNSに「自分が楽しく遊んだ証拠」を残す事がどんどん怖くなっていった。


もしかしたら友人らは全然違う界隈の愚痴をぽろっと呟いただけかもしれない。
それで私が勝手に友人らに悪印象を受けるのは絶対によくない。
でも無意識に、反射的に、それらの友人のつぶやきを自分のつぶやき時間と合わせてスクショしていたので何度も眺めて検証しようとしては、その度に私は心が折れてしまった。
あまりにも私のツイートと呼応して書かれたような愚痴にばかり思えてしまったのだ。

楽しかった日の思い出が、その直後にマイナスな呟きをする友人達のツイートによって落ち込む思い出になってしまっていた。
しかももしかしたら私がなんの気無しに楽しくツイートした事が、友人を傷つけることになっているのか!?と思って気持ちがぐちゃぐちゃになった。


更にこのブログも、ツイッターだけじゃなくここに遊びに行ったことを書くことすら「見張られてる…!」と思うようになってしまっていた。
やがて私は「私の楽しい外出が友人に監視されている」という強迫観念みたいなものに取り憑かれてしまったのだ。


もちろん、これの回避方法はすごく簡単なことで私がSNSにどこに行ったとか何をしたとかを書かなければいいだけだった。

……ただ、それがものすごくストレスになった。
私は文章を書くのが好きだ、写真を撮るのが好きだ、そして前述した通り記録を残して読み返すのが大好きだった。

おそらく自分で思うに、17〜19歳くらいの人として虚だった時代に、過去の写真や過去の日記を読み返して楽しい思い出を思い返す事でなんとか自我を保っていた事があったから、人より強く思い出というものに執着するようになったのかもしれない。
(今考えるとウケることだが、進学校のエスカレーターから外れた16歳の頃の私は毎日毎日小学生時代の写真やビデオを見ていた。怖w有り得ん)

よく記憶力がいいと言われるけど全く逆で、詳細に記録したものを見返して記憶を呼び覚ましていただけなのだ。

なので記録しない、ということはイコール、あとから読み返して思い出す事が出来ない…というわけで私は人生の楽しみを奪われた!とすら思って確定ではない友人達へものすごく負の感情を抱くようになっていた。
(もちろん私の被害妄想説は大きいし、被害妄想じゃない場合でも仲の良かった友人にそれを言わせてしまった時点で私に非があるのかもしれないが)
(相手に見えてるのがわかる所で愚痴るような人間性だから誘われないんじゃないの?とか酷く冷たく思うようにもなった)


なので、友人に見張られてる怖い!という気持ちと記録に残したい!という両方の気持ちがないまぜになって、「日にちをずらす」「誰と行ったかを書かない」「絵文字だけツイートで詳細をボカす」「一緒に出かけた友人に共通のフォロワーにバレるから私の名前を出さないでくれと頼む」とかを頻繁にやるようになった。
しかし結局空リプのようなことはあったし、私は詳細な記録は出来ないしでストレスは溜まる一方だった。


嗚呼!私が、私がSNSをやりたいという欲求さえなければ…!
家で紙の日記とかやるか?
もしくば誰も読めない鍵付きのブログとか?
でも承認欲求…というか誰かに見てもらいたいという気持ちもいきなりゼロには出来ない!つらい!こんな気持ちにさせた友人がきらい!私が見ている場所で私に対して愚痴った人とはもう会いたくない…!!!!!!自分の交流範囲の少なさを棚に上げて私に依存しないで!!!!!!


と、SNSとの向き合い方に頭がおかしくなりそうだったタイミングで、

コロナ禍になった。


友人とはおろか、人と会わない時代になった。
当時コロナ禍になった(語弊を恐れずに言うならば)恩恵を私は確実に受けたのである。
(もちろん亡くなった人がいる中でこの言葉選びがよくないと自分でも思う。病気自体に対する恩恵ではなく、あくまで生活スタイルの変化のみに対して…と記しておきたい)

本当にちょうどその当時この問題でひどく疲れていたので、全ての予定が消え、SNSもびくびく使わなくてよくなったので私は憑き物が落ちたようにえらく元気になった。
人に会わなくていい!もう誰との予定も入れたくなかった!自由だ!
くらいの気持ちにほんとになっていた(スケジュール詰め込み過ぎともいう)

おかげでのびのびとしたスケジュールを取り戻し、この問題は一度私の中でなかった事になった。
日々を書く気持ちもだいぶ戻ってきて、ブログもまた書けるようになった。


が、それはそう長くは続かなくなった。
ステイホームからウィズコロナっちゅーわけで、嬉しく悲しくももまた人流が動き出した。
私はまた人に誘われ、お出かけするようになった。(この問題で病んでいたのでこの数年自分から誰かを誘った事がほぼほぼなかった)
しかしコロナ禍であるから会いたい人とだけ会うことができた。


しかしまだ警戒していたのでSNSにことこまかに載せたわけじゃないのだが、またしても空リプ的なことをされてしまった(何度も言うが私の被害妄想かもしれない)
もういやだ、SNSだいすきだけど何も発信出来ない……


そんな気持ちが消えなくなった頃。
私はスマホデビューした。
それがこの話になんの関係が?と思うが、大アリである。
スマホという文明のおかげで私は「手軽に大量に写真という記録を手元に残せる」ようになったのだ。
日記に書きたい!ツイッターに呟きたい!でも誰と遊んだとか書いてまた空リプされたら怖い!という時に「ただ自分のメディア欄を眺めればちゃんと記録になってる」というのは私にとってかなりの文明開化であった。

しかも私はその写真をマメにフォトアルバムにするから、何回も好きな時に思い出を振り返れたのである。


さらに、
「せっかく出かけた写真を他人に見てもらいたい」という名状しがたかった欲求+「それが友人のせい(八つ当たり)で出来なくなった」ストレスも、
「おさまってきたとはいえコロナ禍で外出ちょっと…という価値観の人もいるし、不特定多数に見てもらわなくてもいいか!」
に変化したのである。




そんな気持ちの変化が続いていく中、さらに私の中で大きなビッグバンが発生する。
それは最近「思い出に縋らなくてもいいか」という気持ちが生まれ始めたこと。
いっぱい記録して、いっぱい読み返して、何度でも幸せだったあの頃に帰りたい………昔から私はそういう思考回路の持ち主だった。

でも最近は過去を過去として受け止めはじめたのだ。
歳のせいだろうか。はたまた愛してるジャンルが興盛を失い過去ジャンルのようになっていくのをみつめて捨てられなかったグッズを捨てられるようになったからだろうか。
もしくは諦観かもしれない。




かくしてこの2022年。
中学生のようなSNSの悩みから解放されつつある。
私はツイッターやブログに出かけた話をほとんどしなくなった。
(まあ今年以前のコロナ禍はほんとに出かけてなかったからだけど)

もちろんすごく楽しかったり、珍しい体験をした時だったり、イベントごとだったりは呟いたりしたけど、以前ほど詳細には書かなくなった気がする。
(それでも今年も空リプされてついには共通のフォロワーに心配されたりもしたが)


更にこの数年は車が家に実装され、犬とのお出かけが圧倒的に増え、家族のことだしプライベートすぎるから…と犬とのお出かけはほとんどツイートしなかったのも大きかった。


そんなわけで私は、SNSに記録をしないことがストレスじゃない人間になった(たぶん)
ツイッターやブログの浮上率はガクッと落ちたが、楽しかった気持ちの上から泥を塗られることがないというのはとても爽快で嬉しいことだった。



ところで先日私に空リプ愚痴(推定、気のせい?)をした事のある友人の一人から遊びに誘われた。
その際、「これこれこういう事情でSNSにも浮上しなくなって、人と遊ぶのも嫌になっちゃったんだよねー」と断ってみたら「私それやってたよねごめんね」と言われた。
自覚あったんかーーーい…
胸のつかえは取れたか?
否。
断れてよかった〜と思っただけである。

許しそうになるたびに楽しい思い出に泥を塗られたスクショフォルダを見返す。(精神的によくないから早よ消せよ)
被害妄想かもしれない、これを言わせた時点で私も悪いのかもしれない、
だがやはり、私はこれをされたのが本っっっっっっっっっ当に嫌だったのだ。許せないほど無理だった。いまでも無理だ。
改めてそれに気づいた。
相手側にも言い分はあるだろう、嫌いじゃないからフォローを切れない私にも問題はあるのだろう、今回は断ったがこれから先この件の友人達と遊ぶことはあるだろう。
だけど思う。
遊んだとしても100%遊べてよかったにはならない。長年病んだのでトラウマになってしまったのだ。50%義務だ。私はもうこの友人達と50%義務の気持ちでしか遊べないのだ。(そして私はそれが悲しい)


たぶんだが、思い出にすがらずにちゃんと人生を楽しめてる人なら、なんて事なかったんだろう。
SNSに書かなきゃいいだけなんだから。
私の周りでSNSやらずに人生エンジョイしてる知り合いちらほらいるし。
もしくはうまく使い分けできる人でも困らなかったんだろう。
空リプ愚痴友人をフォローしないアカウントを作ればいいだけだし、なんなら苦手な友人をフォローしてるアカウントを消せばいいだけだ。
私にはそれらが出来なかった。
ブログもツイッターも過去の大事な思い出だから手放せなかったのだ。
もはや狂気じみた執着心。
全てのバックアップを取るか、ブログも印刷したいとまで思っていたのだ。
だからこそ、友人達の発言が大きなストレスになってしまったのだ。



でも今年その執着心が薄まった。
それはきっといいことな気がする。
人目を気にしなくなったというか、どうでもよくなってきたのかなぁ。(ほんとにいいことか!?)




そんなわけでSNSとの付き合い方に大きな革命が起きた2022年。
さみしい気もするけど、気楽にもなった。



だが、もちろんブログに詳細を書き綴りたい欲は全然消えてはいない。
ただ執着心が薄まっただけで、書かないことによるストレスが減ったという話であるから、書きたい欲はそのままにあるのだ。

ツイッターに横浜お出かけの話とか載せてハマ好きフォロワーさんと共有したかったが、友人の目が怖くて載せられないこともままあった。
が、それが→「まあいっか」に変化したのだ。

なんなら書こうが書かまいが私の自由だし、いい歳なんだから友人関係で悩むほど幼稚じゃないし「なんでもいいや!」の域になったのだ。


今年は絶対に書き残したいことがいっぱいあったがあまり書けなかった。
(犬連れ初お泊まりとか、初サークル参加とか)
強迫観念もあったが、単純に書く時間がなかったのである。

ブログ、また色々書ければいいなぁと思っている。


さて、そんなこんなで自分のSNS価値観がちょこっと変わった今年。
来年はどんなふうにSNSと付き合っていくんだろうかね。




(長文な上に読みにくさMAX文体だけど、私が頭の中で思考を整理するときの口調でブログリハビリでもありました)



………………………………………………
↑までが、去年の年末に書いた記事。

さすがに万が一この記事を当該友人達が読んだら傷つくかもしれないと思ってすぐに消した。

が、
今年に入って私の我慢の限界(家のストレス下の中、どうにか遊びに行けた幸せな日のツイートに全く同じ行為をされ堪忍袋の緒が切れてしまった。大人気なかった)がきて本人にキレry…その気持ちを伝え、話し合いのもと解決したので再投稿の気持ちになったのである。
被害妄想だと思い込もうとしてたけど被害妄想じゃなかったし。

この件の影響でツイッターもだいぶ見る専になってるし(かなりの頻度で見てはいる)、あまり詳細なツイートはしなくなってしまった。
SNS楽しくなくなっちゃったのかなぁ。わからん。
いや見るのは楽しいな、やっぱ。


そんなわけでブログの更新頻度が減ってしまった。
でも長年愛着を持ったこのブログの最後の記事がこんな記事なのは本当に嫌である(笑)
だから私はまた書く日があると思う。
というか、わざわざ再投稿しようと思い立ったんだから私の中にブログに対する熱が依然としてあるのだろう。


なので、またひょっこり来ます。よしなに。
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