39度と、祖父逝く。A


今日、もう日付変更線もゆうに越えて朝焼け、昨日。
2018年8月25日の話。


タイトル通りの話で暗いのでそういうのが苦手な方はご注意を。
Aはただの記録です。事実の順列なため、読む人いるのか?というくらい読みにくいです。




朝起きて、相変わらず病床だった私。
横にはふわふわの柴犬がもたれかかって寝てて。
頭痛がおさまり、相変わらず喉の痛み。


姉が神様(商売をやっているので庭に小さなお稲荷さんがあり、そこにガラスのコップで毎朝水をあげている)のコップ割っちゃって手切った〜なんかコップない〜とか言ってて目が覚めたような。
姉がうどんを作ってくれる(母は私が体調を崩しても最近は冷たく先日頭痛で寝てる時、割れるような頭痛の中問題集をとけ!って怒られて泣く夢まで見たが姉は優しくしてくれ、おかゆやりんごのすりおろしや汗を拭いてくれ、不肖妹この御恩決して忘れぬぞ)というので薬を飲むため無理やり起床。


薬を飲むだけ飲んだら土曜日だし〜と二度寝。
犬とごろごろしてたら何やら部屋が慌ただしい。

先日体調を崩して介護ホームから病院に入院してた祖父の加減がよくないから来てくれと連絡があったとか。
ただ母がちょうど外出しておりいなくて何度も母の外出先に電話をかけながら姉は準備。で、ギリギリに母が帰ってきたので母と姉は叔父の車で叔母と従兄弟と出発。
私はまだ喉が痛かった上に数日風呂に入っておらず、病み上がりも病み上がり。
姉は来いと行ったけど、母は風邪症状の人は病室入出禁止だからと、犬もいるし私は家待機。


どうしたもんかと思いながら、毎日大量にくる宣伝メルマガの購読解除をぽちぽち地道にやってました。
お粥生活中に昨日見たブリティッシュベイクオフ(英国の料理対決番組)のドーナツがめちゃくちゃ美味しそうだったな、治ったら絶対ドーナツ食べるぞと思いつつぽちぽちしてた。

すると姉が泣きながらすぐ来てと電話をしてきたので着替えと戸締まりをして、自分の薬を持ってタクシーに。
家を後にする時、姉が食べようと醤油をきれいに塗っていたトウモロコシがまるまる一本トースターに残ってて夏だなぁなんて思ったりして。

場所がLINEで送られてきたからタクシーでチェックしながら空がくもひとつない真っ青な空で、秋に戻ったなんて言われたけど完璧夏じゃん。というか残暑。寒の戻りっていうけど暑の戻りとはいわないなぁと、そんな事を思いながら友達にメール。
熱で断るつもりだったプールに祖父の訃報を加えてメール。


病室に着くと、祖父はまだ脈を打っていて。
私はあれだって泣いてたからてっきり…さっき友達に亡くなったって言っちゃったよ…って脱力。
寝たまま脈を打つ祖父を不思議な感情で見つつ、末の従兄弟と大叔母達も来たり。
従兄弟と、大叔母達とあうのなんて盆だけで今年はもう終わったし会わないと思ったのにねーなんて話して。
祖父の病室から見た緑の銀杏の並木道が妙に補整されててきれいだねーなんても話して。


姉にあんな連絡するからもうだめなのかと思ったよって言ったらばか、これからもうじょじょに…って言われたんだと怒られ。


待合室でおにぎりを食べたり(四日ぶりの固形物)、ロビーのハイテク自販機に従兄弟達と驚いたり。
最近は本当にお盆にしか集まらないから従兄弟とこうしていると昔のお正月みたいでたのしいなと思ったり。

私はちなみにほぼ声が出せない状態だったのでかすれ声でした(病み上がりでまず出歩いたのが病院か、と)

ややあって、とりあえず様子見で今日は母と叔父が泊まり込むからそれ以外の皆は帰りなさいとの事に。
まず大叔母達が。
次に私と末の従兄弟が。
その次に姉と一番上の従兄弟が帰ることに。

私は犬も心配だったし、すぐ帰って。
姉が帰ってくるまで家の事をせねばと帰って洗濯物を取り込み、第二陣を洗い、食器を洗い、家中の雨戸を締め。
そして寝込んでる間、メールやLINEやりぷを溜め込んでいたので(みんな返信いらないですって気持ちだったろうけどこの後の事態はわかってない時だったし私は返したかったので)またもぽちぽち。
更に体調もよくなってきたので復活報告。
更に寝込んでる間更新されていたネオロマのグッズ情報を見ていました。
この日ステコンのチケットが家に届けられていたぽいけどもちろん受け取れていない。
すべて別々発送、日曜公演だけ当日引き換えって本当にどうしてなの東武さん?いままさに不測の事態を迎えてる私にとって、色々な事態に本当に対応出来ないからやめてほしいって思ってる。
現状今となってはステコンも雲行きあやしいですが。
で、そろそろ犬の散歩に行こうかなって思ったら突然の夕立。
夕立というかものすごいどしゃぶり。
さっきまであんな晴れてたのに??って思ってたら雨の中姉帰宅。

雨が止んだら散歩行くわー、じゃあお姉ちゃんは晩ごはん食べてるね等と話してたら母から電話。
なんでもいいから従兄弟を拾って早く来いとのこと。

従兄弟も従兄弟で晩ごはんにケンタッキーを買いに行ってしまったというし、こちらは雨のせいでどの会社に連絡してもタクシーはつかまらないし。
電話でのタクシーを諦め、通り雨が止んで濡れた歩道を走って駅まで行き、そこで従兄弟と合流して四人で駅で拾ったタクシーで病院へ。

皆転がるように走って病院のドアをくぐったんですが昼間は静かだった祖父の病棟はずーっと何かが途切れたような音がナースステーションに響き渡ってて。
それを無視するように皆で病室へ。
病室には母と、叔父と、叔母と、実習帰りの真ん中の従兄弟が。
皆、泣いてて先ほど息を引き取ったと。
昼間は赤く見えた祖父の顔が今度はずいぶん黄色く見えました。
そもそも親戚が母方しかわからず、お葬式も人生に一度祖母方の遠縁に昔一度出たきりの私にとっての生まれて初めての身近な死。
母や叔父や姉の悲しみからは遠く、みんなの涙に誘われるままでる涙の意味もわからず、ただただ不思議な感覚でした。
まだ熱でもあるのかってくらいぼんやりとした死。
悲しみの中に隠せないホッとした感情。
そんなぼんやりした時間の中、大叔母達が来て慌ただしく葬儀社を決め、慌ただしく話し合いをしました(主に葬儀場の場所決めや祖父を家に一度帰すか帰さないか)。

母を含めた大叔母達は誰一人(歳のせいもありましょうが)理論的に会話をすすめられないまま孫達は一度外に。
おじいちゃんの前で葬儀どこにするなんてあんなにギャアギャア言い合えないよって悲しそうに言う姉や真ん中の従兄弟を見て、なんていい子に育ったんだろう…とぼんやりとした感情の私はぼんやり思ったり。


なんやかんやで葬儀社さんがうちの家の前を通ってくれる事になったので家の準備をするため祖父についている母と叔父以外総員帰宅。
雨が上がってる空はもう23時とかで月がえらく綺麗だった。


長くなるので切ります。