2020-7-14 23:29
毎年わたしの精神大荒れなお盆(東京の日程)
片付け→盆棚作り→迎え火→棚経、が終わり今年もあっという間に折り返し。
コロナだから長居させるな親戚達にうちで飲食させるなアピールをしたおかげか、みんな大人になって寄り付かなくなったせいか、わりと例年より心穏やかに過ごしてます。
(なるべく私が親戚に関わらないようにしつつ与えられた仕事をやってる動きをしている。たぶんやってる風だから姉は怒ってそうだけど。でもそれは私が日頃からちゃんと片付けしてたからやることが少ないだけなんですが)
この時期、友人各位に心配かけまくるのですが今年はわりと大丈夫です。
本当は自分でもわかってるんだけど、私もともとお盆の雰囲気ってすきだったの。
このブログも昔の読むとすきって言ってるし。
昔はさ、学校から帰るといつも灯籠がキラキラしてる大きな盆棚が家のなかに組まれていて、ああこの時期なんだー!ってわくわくして。
いつもは閉まってる襖がこの時だけ外されて六畳と八畳の部屋が繋がって広々とした空間になる。
親戚が集まって提灯に火を点けて夜を歩いて、じじばばがしゃべってる間、母達はお盆の天ぷら揚げて、私は従兄弟とゲームしたり毎年この時期やるポケモン映画を一緒に見たり。それが楽しくていつも従兄弟はまだ帰りたくないって言って。私も帰ってほしくなくて楽しかった。
中々帰らないじじばば達への文句をクスクスこそこそ従兄弟達と話すのがすきだった。
信仰なんてないし、お盆なにそれ?って感じだけど毎年楽しみにしてた。
それが、好きだったお盆。
物が増え、片付けられない人のせいで盆棚は襖の部屋ではなくギリギリきれいな今私と犬が寝てる部屋に狭々しく組まれてる(毎晩お線香に燻され限界)。
祖父がしんで代わりに指揮をとる叔父にいらいらしながら私は組み立てに参加し、色々な積み重ねでよそよそしくなった従兄弟達は一刻も早く帰りたがる。
一番下の高校生の従兄弟は、みんなで楽しんでたお盆すら覚えてないだろう(思春期真っ只中の彼は犬に会えるのだけを楽しみに来ててずっと犬と遊んでた)
若い従兄弟たちに何か気軽に話しかけるとこれは言っていいんだっけ、と身構え1拍考える顔をする。そしてその態度に私が傷つく。
どうして、いつからこうなってしまったんだろう。
この時期特有の、まわる綺麗な灯籠の光も、お線香の匂いも、遠い幼き夏の果てに逝ってしまった。
全てがよそよそしく、みんな早く終わらせようと嫌々やっているように見える。
私がお盆(あるいは全ての家族行事)を精神が荒れるほどいやでいやで仕方なくなったのは、変わってしまった日々をうんざりするほど体感しなければいけないからなんだろう。
いつまで突き付けられなくちゃいけないんだろう。
これもある種の語り継がれた家族行事とかが時代が経つにつれ簡素化されていく人類文化学…。
ストレス発散というか、このタイミングでゆかりさん上位ロワイヤルなのでモバマス走ってます。
お盆で気が滅入ってもイベント走るのがあるから元気。ありがとうシンデレラガールズ!!!!!!
あとは残すところ送り火、盆棚解体、お墓参りですね。がんばろ。